続 盾つく虫も好き好き
2026年 4月13日 賽は投げられた
![]()
昨晩「峠 最後の侍」という映画を視た。主演役所広司 監督小泉 堯史で以前視た蜩ノ記という映画も好感が持てたので私は充分楽しめたのだが、この映画もやはり見る人を選ぶ映画なのかもしれない。要するに侍の抱える不条理などに共感できる方にとっては、映画の台詞に込められた一言一言に侍の持つ郷愁と美意識に感じいり大絶賛となるが、そうでは無ければ理想主義ばかりの堅苦しい映画となるらしい。そしてこのような思いになるのは、戊辰戦争最後の地となった函館に暮らす者だからこそなのかもしれない。ここで改めて武士の世は何かといえば、今風に言えば軍事政権ということになり、物騒に思われるかもしれない。そうはいっても日本ではその軍事政権が260年以上に亘って平和を貫いてきたのである。何を言いたいのかといえば武装するから平和が保てないというのは日本の歴史に反するだろう。
映画の話に戻ると主人公、河井継之助の思いは民百姓の安全を如何に守るかに貫かれている。しかしながら、時世により和平が無理と悟った侍は自分の名を如何に残すかにシフトしていく。つまり函館戦争でいえば死を覚悟した土方歳三は共に戦った若い侍に自分の遺影を故郷に届けるよう託したという。これで若い侍の命は救われることになったが、これを届けた侍はこのことの重要性が骨身にしみていたのだろう。
そんなことを思いながら今朝目を覚ますと、アメリカ、イランの停戦協議決裂やハンガリー政権交代のニュースが飛び込んできた。このニュースが伝えることはこれにより世界中が戦争に巻き込まれる危険が高まったことを意味する。因みにハンガリーの政権交代が何故戦争の危機に繋がるかといえば、ハンガリーの前首相はEU,NATOの中で唯一ウクライナ戦争には反対の態度を示していたからだ。つまりこれによりEU、NATOは、戦争への歯止めを失い一丸となってロシアへの軍事介入を進める可能性が出てきたのである。現在これに対抗できるのは今やアメリカ一国のみという際どい状況にある。つまり現在もアメリカと溝を深めるEUはこれによりアメリカとの懸け橋を完全に失った事になる。
因みにアメリカとの懸け橋といえば、ユーラシア大陸の東端にはいつでも両手を広げて各国の要人を迎えてくれる親切な国がある。それが現在日本の立ち位置だ。と言う事は好むと好まざるとに関わらず、日本は世界の平和を左右する際どい立ち位置にある。このような状況で日本は先の日米会談に臨み、経済及び軍事面での協調関係を世界に向かって表明したことになるのだ。つまり「賽は投げられた」のである。このことを批判的に捉える人も居られるが、私はこれを最良の決断だったと思っている。
要するにトランプ政権と歩みを共にすることは日本の国益にかなう選択だと断言できる。そしてトランプ政権と対立するEUにとってその日本こそアメリカとの唯一の懸け橋なのである。その為日本がこの微妙な関係を保つためには、どうしても果たさなければならないことがある。それは日本がロシアとの関係を修復しウクライナ戦争の停戦に一歩でも貢献するという態度を示すことだ。このようなことは世間的には裏切り行為のように取られる向きもあるかもしれないが、日本という立場はそれを可能に出来る立場にある。
つまり、ロシアとの友好関係が改善されることによりウクライナ戦争の停戦は具体的になる。このためのアプローチは様々考えられるだろうが、まずは公共性の少ない個人資産の制裁解除からされてはどうだろうか、或いはICCが訴えるロシアによる子供の虐待について国際舞台においてロシアにも反論の機会を与えるべきではないだろうか。このように高市首相に負わされる責任は日本人の誰もが経験したことのない世界の平和という重責になるが、現状からすれば日本の立場は長岡藩の悲壮な状況とは違い、むしろこれからの選択さえ間違わなければ、かえって日本が世界平和に貢献できるチャンスとなり得る。
昔の侍は自分が死んだ後も自分の評価や周りの社会が気になる存在だったのだろう。今の総理に武将の姿を重ねるのは気の毒に思うが、日本の歴史には巴御前などという女傑も登場する、カッコよさは男ばかりの専売ではないようだ。