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2026年6月26日ようこそ

2026年 6月26日 話し合いと実力行使

世の中に何故戦争が存在するのか、その答えがここにあるように思う。要するに話し合いで修まらなければ力で説き伏せようというのが実力行使だろう。ところで戦争といえば誰もが眉を顰めるが、戦争と云えども何でもありというものではない。因みに現在でも戦争行為についてはハーグ陸戦条約という1899年に出来た条約に負うところが大きい。例えば宣戦布告の定義や休戦、捕虜の扱いなどがここにある。この基準に則り東京裁判などではB級戦犯以下の処罰が決定された。話が脱線するがここにはA級戦犯にあたる平和に対する罪というものは存在していない。それより目を向けなければならないのが、武器を持たない市民への攻撃はC級と呼ばれる軍法から外れた刑事罰の世界いになるからだ。つまり本来この条約を基準に戦争犯罪を裁いていれば市民に対する攻撃は戦争行為ではなく殺人罪にあたる。

さて本日のテーマを「話し合いと戦争」にしなかったのには、この実力行使には戦争行為以外のあらゆる不法行為が含まれるからだ。つまりここには選挙妨害などのように相手の言論を物理的に妨害することや、意見の合わない相手はこの世から消してしまおうという過激なものまで含まれる。

因みにこのようなテーマを選ぶ切っ掛けとなったのは、先日行われた沖縄全戦没者追悼式にあったヤジで日本政府を代表する総理の挨拶が遮られてしまったことだ。というのも確かに沖縄戦の悲惨さは筆舌に尽くしがたいものがあるが、戦闘の経緯を見れば、沖縄戦に参加したほとんどの方々の胸中には最後まで臣民としての誇りを保ち皇軍に対し献身的に尽くそうという思いを感じるからだ。そのため皇軍の玉砕により軍が解散してしまうと彼らは捕虜ではなく自決という道を選んでしまったのである。このようなことから彼らの最後を思えば、非業の死を迎えたことに対する哀れみよりも、日本国として臣民として誇りをもって国家に殉じられたことへの謝意を表すことが、彼らに対する何よりの慰霊になるのではと思うのである。このような思いを遮り、彼らの死がまるで無駄死にであるかのごときレッテル張りをするのは、日本国全体を辱めるだけでなく壮絶な覚悟で死を迎えた魂に対し、その事実をも捻じ曲げる実力行使に思える。

何を言いたいかといえば、戦争反対を訴えるのは良いことだとしても場をわきまえず、仮にも戦争の悲惨さを悼む式典を実力により妨害することは、法的秩序を乱す迷惑行為に他ならない。要するに彼らが反対する戦争でさえ国際法による制限が設けられているのだが、それに反対する彼らの行動は法による支配を無視した反社会的行為に他ならないのである。

 

 

 

 

 

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Posted by makotoazuma