ゾクゾク盾つく虫も好き好き
2026年 7月9日 日本のいちばん長い日

日本の終戦を扱った映画で1967年制作のものと、2015年の決定版がある。私の好みを言えば本木 雅弘氏演じる昭和天皇が描かれた2015年版が好きだ。さてこの映画の主役といえば陸軍大臣阿南 惟幾で、大臣はすでに終戦に向け行動を進める政府と未だ戦争継続を望む軍部との間で板挟みにあう。その決定の重さは壮絶な最後の切腹シーンに描かれている。特に決定版では死にきれずにいた阿南は包帯をぐるぐる巻きにされたまま看取られるが、このシーンで瀕死の役を演じる役所広司があまりにも痛々しかった。
因みにこの映画で戦争継続を訴えるのは主に軍人であるが、当時は一般市民にも相当数戦争継続を望む声があっただろう。ところがこの時日本では玉音放送が流されると、ほぼすべての日本人がこのことを粛々と受け入れてしまうのである。私はこれこそ天皇陛下の威光に他ならず、権威というものはこのようなもののことではないかと思うのである。つまり権威とは力によらずともその威徳によってことをならしめることだと思っている。
ここで映画の話に戻ると、この時、陸軍大臣阿南 惟幾は自分の古巣である陸軍との板挟みで身の置き場もない思いだったに違いない。とはいえ、この時の昭和天皇の思いは、それを遥かに超える苦渋の思いだったに違いない。というのも8月15日の時点では国体の扱いについて連合国からの回答は示されていなかったからだ。要するにポツダム宣言受諾により戦争犯罪に問われることや皇統の廃止という事態にもなりかねない状況だったのである。つまり皇紀2600年を誇る皇統の歴史も昭和天皇の決断により、ここで潰える可能性があったのだ。恐らくここで天皇陛下は我ら臣民の命と皇統の重さを秤にかけられていたのかもしれない。その結果天皇陛下は自分の命も顧みず臣民の命を選ばれたのである。
このようなことからすれば現憲法にある、天皇の発言の全てを内閣が承認しなければならないというのは天皇の権威そのものを下げるばかりでなく、最後の砦となる天皇陛下の威光も封じてしまうことにならないだろうか。確かに天皇が国政に関わる発言をされれば、責任の所在を問われる事態にもなりかねない、とはいえ象徴という言葉はそのすべてを是とすることではないのだろうか。
因みに、現在国会で揉めに揉めている皇室典範改定だが、このようなことを国会で議論することは、そもそも憲法に掲げられる人権の問題と整合性は取れるのだろうか。天皇は神だという見方もあるがそうであるならなおさら、娑婆の人間が口出してはいけない世界のことのように感じる。
ということで、すでに日本の歴史は戦後80年を過ぎてしまっているが、日本の長い日は未だに明けないのである。