竹に上下の節あり
2026年 10月24日 青黄赤

阿弥陀経というお経の中にはあの世では青色は青く光る、黄色は黄色に光る、赤色は赤に光る蓮花があると書かれている。しかも白い色の蓮は白色に輝いているというのだ。ところで青色、黄色、赤色が絵の具であった場合これらの色を混ぜるとたちまち真っ黒になってしまうが、科学実験で使うプリズムを太陽に翳すと真っ白な光は色の帯を映し出す。つまり仏典にある西方浄土に咲く白い蓮華とは光の屈折を表現しているのではないだろうか。因みに仏典で伝えられたのは、今から2,500年のことでアイザックニュートンによって完成した光学の研究は17世紀になる。
ところで、私が今日、話題にしたかったのはオーパーツについてではなく人間の肌の色についてだ。これについては人種差別という重いテーマに関わることで、賢い人は避けて通るのが常識で夫婦間でも話題にしないことが円満の秘訣などと言われる。とはいえ、この人種差別はいつ頃から始まったのかといえばそれこそ人類史と共にあったと見るのが正しいだろう。とはいえ近年最も大きく取り上げられるようになった切っ掛けは基本的人権についての意識が高まった啓蒙主義の普及からであり、その舞台としてアメリカ合衆国は世界に最も大きな影響を与えてきた。そんな自由の国アメリカには人種差別という最もネガティヴな問題が起こっていた。では何故このような問題が生れるのかといえば、たぶん基本人権にある平等主義に限界があるのではないかという気がしてならない。
例えば、人類が誕生した環境を遡れば、無数の小さなコミュニティは自然環境の制約を受け入れ彼らの暮らしに反映させてきたに違いない。その結果、時間の経過は人類の暮らしを際立たせ文化という色彩に染めてきたのである。つまり新しいコミュニティに暮らすことは、積極的にその環境を受け入れそこに順応することが求めらるからだ。さて、ここで我々は問われなければならない、基本的人権にある平等とはどのようなことを示しているのか、少なくとも物事を均一にすることではないだろう。2500年前にお釈迦さまは我々に話された、西方浄土にある池の蓮は青色、黄色、赤色の様々な色の光が輝き響き合って生きとした世界を生み出している。