竹に上下の節あり
2026年 8月16日 業縁

何処に辿り着くのかさっぱり分からないまま絵の制作をしている。絵のプロからしてみれば大変危なっかしい制作態度なのだが、自分にしては、そうするしかないのでそうしている。とはいえ中にはちゃんと計画的な制作を試みた絵もある。たとえば俵宗達の絵をもとに制作した作品がそれらになるが、何故それが俵宗達なのかといえばやはり判然としない。自分では日本画に興味があったからなど、必死で様々な理屈をこねている。その中でも風神雷神図屛風に代表される宗達の作品が何故か私の心を掴んで離さないというより、恐縮して萎縮いる。
とはいえ恐れ恐れ参考にさせていたのが、京都にある養源院にある白象図という板戸に描かれた絵だ。当初これを眺めいる内に線という虚構の概念に執りつかれ、線と平面の狭間で揺れていた。簡単な言い方をすれば、漫画にあるようなサブカルチャーはもっと根源的な処と繋がっているのではという妄想を抱いている。ところで、写真にある観自在ⅢはⅠ,Ⅱで構成されていて養源院の戸板と同じあ形うん形宜しく対の図に成っている。
因みに、この白象図がある養源院というのは、将軍徳川秀忠の継室浅井江の強い願いにより創建されたものらしい。ここで大河ドラマに出て来る様々なシーンを思浮かべて頂きたい。浅井に嫁いだ織田信長の妹お市は、3人の娘を抱え長女茶々を秀吉に嫁がせ、三女江を徳川秀忠に嫁がせている。大河ドラマではちょうどお市が柴田勝家に嫁ぐとこが放送されでいるが、非業の死を遂げたお市のドラマは終わらない。というのも徳川に滅ばされた無念の茶々を弔らったのがこの養源院なのだそうだ。そのため当時から豊臣を弔うのは如何という意見がでていて、そのためにこの寺には血染天井などと言う物騒な天井が残されているらしい。つまり、この寺には織田、豊臣、徳川の業縁というものか託されていたのかもしれない。
それにしても私が何故その業縁を絵画にしなければならないのか、自分の在り様を見てみるべしということなのか。