G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

 今日のできごと

2021年9月14日gallery,今日のできごと

2021年 5月23日 他力について

浄土系って一神教に似てるってイメージないですか、信じる者は救われるみたいな、もちろん間違いがないのですが、その信心の元となる他力について私の感じるところを述べたいと思います。最初にお断りしておきますが、これから語ることは感じるままをただ書き込んでいるだけなので、正しいとか間違いの話ではありません。受取り方は読者様の判断にお任せします。

さて、浄土教のよりどころは仏説阿弥陀経です。この教えをひたすら信じることその為の念仏があります。念仏の仕方については流派がありその作法を貫くことが檀家にとっての信心です。信者は阿弥陀如来の救いをわき目も振らずとことん信じることによって死んだ後、極楽浄土に生れることが出来ます。

ところで、私が強くこの宗教に引きつけられたのが一切他力という言葉です。南無阿弥陀仏でもなくここ1点です。で私の感じた他力とは、自分の計らいが全く消えた世界です。よく仏教で聞く無我の境地がこの一切他力の理解によってもたらされるのではないかというものです。門徒のお寺さんに悟りについて伺おうとするとそれは、お釈迦様のような特殊な次元の方の理解で、凡夫の理解を超えたものだと話されることがあります。

確かにそのような伝え方が時代を経て伝わったことには違いないのですが、せっかく世の中教育制度の充実で知性溢れた方が沢山いらっしゃるのだから、鎌倉時代とは違った伝え方があってもよいのではないかと思います。

話が飛びましたが、一切他力の理解により、門徒さんも禅の境地である無我に身を置くことが出来るのではないかと考えました。瞑想や座禅によって得られる境地、自我に振り回される生き方を止め一切を手放す覚悟の他力の境地いずれの選択もゴールは同じと感じています。なので最後に一言「これでいいのだ」以上

gallery,今日のできごと

Posted by makotoazuma