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 今日のできごと

2021年9月14日gallery,今日のできごと

2021年 7月1日 苦しさってどう思う

苦しみからの解放

ようは避けたいと思うのか思わないのか、根本的に避けたいのかその場しのぎでいいのかってとこです。

私は現世の苦しみこそ、生きる動機になっていると思っています。苦しみを解決することが人生を生き

ている実感を生み出している。そしてその連続が人生の齢を重ねるという感覚だと思います。

もしもその解決が果たせなかったとき、人生を終えることになると思っています。

これが、99.99%の方が実感している現実の人生ではないでしょうか。

気づきの世界と因果律

ところがこの苦しみの連鎖に疑問を持っちゃった方がおられます。なぜこんなことが続くのか、この連鎖から逃れるすべは無いのかと、そして気づきが訪れ、覚醒がおこります。

このような方が仏陀と呼ばれる方です。仏陀はこの連鎖には実態が無いことを見抜きますが、反対に覚醒に至らない我々は、現実と思い込んでいる因果律の世界にその答えを求めようとします。

その世界では求めれば求めるほど納得の答えがどんどん返ってきます。この世界で起こっている現象こそ正当で信じるに値するよう導かれます。この世界で苦しみの解決に向き合うと、このような繰り返しの世界に引きづり込まれてしまいます。それほど巧妙な罠のようです。なのでここを抜けるためには現象世界と距離を置くための覚悟が必要になります。

因果の連鎖とは

ところで仏陀が気づかれたこの連鎖には実態が無いということは、どのようなことでしょう。そもそも因果律の連鎖とは、因縁と結果の連続です。つまり結果は次の因縁になりその結果も同じく次の因縁に繋がります。

ところでこのように二つの現象が交互にその立場を変えて存在するためには、時間という概念が必要になります。問題はこの時間という概念は未来か過去にしかないということです。つまり時間とは過去という記録の中か、未来という妄想の中にしかないということです。

つまり、思考というストーリーで意味付けされなければ存在しないものです。反対に実態とはどんなものでしょう。簡単に言えば今この瞬間目の前にあるものが実態のすべてです。でもこの瞬間というのがとっても厄介です。それはコインの裏表を捉えるようなもので、絶対あるのにそれだけを取り出すことは絶対に出来ません。

実態にたどり着くために

要するに時空の認識では捉えることが出来ない世界のためもし、そこにたどり着けるとすれば時間を止める必要があります。ところが、残念なことにその時間が止まった世界から時間が止まったことを伝える方法がありません。

だからその瞬間を言い表そうなんてことは出来ないんです。そこに言葉で臨もうとすれば実態に向き合うことよりも論理に向き合うことになり、結局は因果律の世界をより深く極めることになります。論理とは言葉や思考の世界です。それは、今あることを認める行為ではありません。

仏陀の気づき

では、仏陀の気づいた真実とはどのようなことでしょうかそれはこの瞬間が真実であること、瞬間とは未来と過去の間そこは無限の今です。これこそが実態でありそれ以外のものは幻想にすぎないのだと、つまり時間も無ければ空間もないその1点こそ真実なのだと気づきます。

これが無いのに有るという存在です。2次元はあるのか無いのか、無いはずのものなのにどうしてあると言えるのか、それは因果の連鎖を抜けてあり続けることを我々に示しています。時空でとらえられない「今」のことを3次元前提の人称をもって語ることも出来ません。なので現実の人生という因果律の括りでは感じることが出来ないものなんです。人生という感覚から離れることが出来た瞬間はじめて訪れる理解です。

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Posted by makotoazuma