今日のできごと
和洋折衷(せっちゅう)の街
私の暮らす箱館の話です。北海道の中では特に歴史的な遺産の残る街で、ご存じの方も多いと思いますが、
その特異な地形のため松前藩の時代から港町として栄えてきました。
異文化との出会い
ところで、この街の佇まいが出来たのはペリー来航によって開港したためです。このときはじめて、鎖国していた日本文化と産業革命を迎える西洋文化が出会いました。ほどなくその文化は融合していくわけですが、
驚くのはそのスピードです。世界の常識では異文化が土着の文化と出会っても融合していくまでには相当の年月を要するはずで、たいがいは各地の中華街に見られるように居住区が分かれたりすることが多いと思います。
ところが、はこだてには何故かそのような居住区の仕切りが伝わっていません。
建築が表現するもの
私が特に驚くのは、和洋折衷という建物のすばらしさです。和洋折衷の佇まいを簡単に説明すると2階は西洋建築、1階は日本建築という建物です。
言葉で聞くとさぞや奇妙な建築のように思われると思います。出来の悪いキマエㇻはグロテスクでしかないのですが、私の印象ではオシリスやホルスのように神々しく、しかも風景と同化した存在感があります。
日本人に備わっていた美意識
私にはそこが不思議でたまらない所なのですが、そもそもこのような和洋折衷の家並みは、商家や個人宅がほとんどで、公の建物のように資金を潤沢に使ったり、名のある建築家が建てたものではありません。
おそらくはその当時、長屋を作ったり個人宅を建ていた普通の大工さんによるもので、大学や海外留学をして知識を得た方の建築ではなかったと思っています。
そんな普通の大工さんが造った建物だと思いますが、実にいい仕事をされています。軒下や屋根の傾斜具合、窓と壁面の関係など美しさの極致です。
失われた美意識
ところが、戦後たてられた建築を見ると無残という言葉しか浮かんできません。なんでこうなったのだろう、あの街中を彩った美意識は継承されることなくなぜ潰えてしまったのでしょうか。
という無念の思が沸き起こります。こんなところが町への帰属意識を低下させているのだと思えてなりません。
結局、日本の開港時、日本人が自然と身につけていた美意識は敗戦後の意識革命によって潰されました。
この記事を書いている私もその教育をまともに受けた人間です。私はこのような違和感を多少持てただけでも何かしらの価値があると思っています。
宇宙の道理
合理主義という名のもとに積み上げられた建築は、いくら取り繕っても合理主義の表現にしかなりません。またそのようなエゴ丸出しの建物が風景と馴染むはずもありません。それに気づかないということは、そもそも景色に向き合う方向が違っているということです。私は木立の間から遠くに垣間見る教会の尖塔の美しさに、この角度この塔の高さ、この窓の大きさから宇宙と繋る普遍的な美しさを感じています。そして宇宙の道理を感じています。