今日のできごと
2021年 7月27日 運命の糸
受験生にとって歴史は自分を測られる目盛りの一つのようで、不愉快極まりない対象かも知れません。私にとってはサスペンスドラマを見るような感覚です。なにせ自分の好奇心が満たされればOKで正しい知識なのかどうかとか、体系的にどうのという、そもそも私の好奇心を何らかの役に立てようということがありません。そういう意味ではクイズ王を目指されている方のほうが健全かもしれません。
はこだてにあるモニュメント
ところで、今日張り付けた画像は函館にあるモニュメントの写真なのですが、私が小さい頃は新島襄、上陸の地とあったように思います。ところが、いまの解説では国外渡航の地です。内容からすれば、えらい違いなのですが、その背景に歴史のロマンを感じます。
新島襄の功績
新島襄といえば京都の同志社大学、その京都を復興させた義兄の山本覚馬、そしてその奥さんに大河ドラマになった八重がいます。この繋がりだけでもすごいと思いますが、私の住む町函館ではハリストス正教会の司祭ニコライと直接交流を持ちその時、新島は司祭に対し古事記をレクチャーしたと有ります。
はこだてとの繋がりと北海道のつながり
このときニコライ司祭は新島に函館に留まるよう希望したのですが。渡米の意志は固く上海経由で1年をかけアメリカに渡ったそうです。そこで、新島は日本人初めての学位を取得しますが、その指導をされた方がなんと北海道人がこよなく愛するクラーク博士です。「少年よ大志を抱け」のあの方です。クラーク博士の功績については触れませんが、札幌の羊ヶ丘展望台に巨大な像が有ります。それほど道民に愛された方です。
でその方が訪日の決意に至ったは新島襄に対するシンパシーではないかと思います。開港したての日本なんてほかのアジアの国に比べて極端に情報が少なかったのではないかと思います。そんな未開の地を訪れることは余程の覚悟だと思います。そう考えると彼の魅力が無ければ、博士の来日は無かったかもしれません。また博士の指導を受け数々の功績を残した有志も誕生しなかったのではないかと思います。(近代日本の農業の礎と言える方)
このように新島襄の資質にも驚かされますが、世界と日本文化が出会う瞬間にあのような才能が絡み合いながら歴史が綴られてきたことに不可思議で尊い意志を感じます。とかくこの世は面倒なのですが、どこにフォーカスするかで味わいが変わります。楽しめないなら楽しむ訓練をするまでです。まずは足元から見つめ直しましょう。楽しむために。