思考ラボ
思考ラボの開設
先日、家の草むしりをしたんですが、思うところがあって投稿しました。一般的なイメージでは草むしりと聞くと、長閑なイメージではないかと思います。私のイメージも初めは久しぶりに自然に接して、草花と直接触れ合う時間、とてもほのぼのとしたイメージだったのですが、作業に入ると一転しました。私の心の中は完全に戦闘モードになってたんです。なんと草花と生存領域をかけた戦いを繰り広げていたんですね。草の根が残らないように慎重に草をむしり取っていくんです。残酷なことですが、そのことに集中していました。で気が付いたんですが、この草たちも自分が他より早く成長して他種の日照時間を奪うことによって、自分の生活圏を維持している、ということです。我々が自然の中で暮らすということは、自然のサイクルに身を委ねて納得することです。私は先ほど残酷という言葉を使いました。なぜか、納得していないからです。
この度、思考ラボというタイトルの投稿を立ち上げました。くどい話の好きな方お付き合いください。またお目にかかりましょう。
納得していないの続きです
どうも落ち着かない終わり方をしました。何故だかわかりますか「はい、表現力の問題ですね。」といわれると「表現力がどうしたって。」ちょっと強めに返したくなるんですが。前回の問いは納得したいのか、納得したくないのか、実は伝わっていないことを知りながら終わらせました。で私の結論です。「納得したくはないけど、納得するしかない。この世界にある限り」が私の答えです。志の高い方は何故自分の望む世界を実現しようと思わないのか。と訝るでしょうが、望む世界は既にあるのです。完ぺきな世界です。対する現実世界といわれるこの世界の意識は無いことの渇望から始まり、それを満たすまで続くという罰ゲームのようで。渇望といっても命を懸けた欲求ですので、その強さも凄まじいものがあります。ですが、自然界では此処までなんですね。人間社会にはさらにこの先があります。では、この欲望とどう向き合うのか、修行によって欲望から離れることは出来ないものかと、いろいろ努力をするんですが。結果については一般人が受け入れるレベルではないと思っていますので、私は出来ないと思っています。もし自分の命がこの世にあって自分の命を維持したいと思うなら別の命によってのみ維持が可能になります。現在はクローン技術も進んできているので微妙なところもありますが、命の成り立ちが解明されていない段階ではクローンも命と考えて問題ないと思うのですが、いかがでしょうか。命は命の循環によってのみ成り立っているので、単独で成立している命は存在しません。それが命です。残念ながら今のところ私にはその例外を見つけることが出来ていません、もし私がどれほど穏やかな表情であったとしても、内なる私は常に戦闘状態で、異物は即攻撃対象にされます。それは自分の意志、言葉や判断を超えた世界です。ならば納得という選択肢しかないですよね。無いことで飢えるのは、あることを知っているからです。ある世界から見ればこの世は貧困です。どれだけ積み上げても満たされることは無いようにできています。なので貴方だけが特別満たされないわけではないのです。逆に何でも満たされる方はこの世に生れる甲斐が無かったのかも知れません。ここまで来て満たされるなんて、大変残念なことです。満たされている世界から見るとせっかく作った「満たされない世界」という箱庭なんです。満たされた世界が満たされているなと感じるのは「満たされない箱庭」の住人だけです。我々はこの満たされない世界から満たされた世界の人たちを羨ましがってあげることで、満たされた世界の人たちは自分たちの存在を感じ取れるのかもしれません。私たちはこの満たされない世界に今、存在しています。ほんのわずかな時間、記憶喪失のまま、ほんのわずかな光を頼りに、常に満たされない宿命を背負って生きています。貴重な存在だと思いませんか、満たされないことを前提に渇望の海に飛び込んだですから「ウルトラマンじゃねーよ。」です。ではまた「あんたも好きねー」