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思考ラボ

2024年11月17日gallery,ようこそ

2024年 4月10日 無意識はどこにあるのか

私は、この世界そのものが無意識なのだと思っている。さらにそれを細分化する有意識の体験が、無意識に蓄積されて膨大な宇宙の情報となる。その量こそが宇宙空間の大きさを決めていると思っている。とはいえこれは私だけの理解であって、そこに矛盾が起こらなければ私はそれで良しとしている。

ではなぜいま、こんなことを言い出したかといえば、美術界における一つの潮流となったダダイズムやシュルレアリスムが無意識という潜在意識に向かう取り組みであり、これによって無意識は肉体という壁を飛び越え、すべての意識は潜在的にはたった一つの存在であるという考えに共感するからだ。

とはいえ科学者ともなれば、こんなことも筋道をたてて示さなければハイそうですかとはならない。昨晩は偶然養老孟司氏のそんな動画にはまってしまった。どんなことかといえば私たちが歩こうとした場合、実は自分が歩くことを意識する前から、勝手にどこかの器官が、自分の手足に歩けという指令を送っているそうなのだ。ということは自分の行動は自分の意識外の指令によってもたらされているということになる。

氏によれば自分が意識的に行える行動は、その指令を止めることだとも言っている。そのため私はこの動画を見つけて正直ほっとしている。というのも世界的な脳科学者が意識は個人の脳みそだけにあるのではないと言っているからだ。とはいえ以前にも脳みそには記憶したり、それぞれの器官に指令を出す機能はあっても、それを統合して目的に向かわせるための部位は見つかっていないそうなのだ。つまり手足を動かすための機能はあっても、これからピクニックに出かけようという意識は、脳みそのどこの部位でどんな指令を出しているのか分かっていないそうだ。つまり可能性として個人の脳みそ以外のところから、人間は行動に関する指令を受けていると考えられるのだ。

さて人間の脳みその話をすれば、AIが2年以内に人間の知能を追い越すというイーロンマスク氏の話題があった。私は司法と政治の判断はAIの方が人間より適しているのではないかと思ったりしている。いやいやそれこそ人間のやるべきことだと思われる方多いだろう。私も本来そうあるべきではないかと思うが、今の政治や司法を見るにつけあまりの合理性の無さに、最近は人工的判断の方が優れているのではないかと思うようになってきた。

とはいえAIが暴走したらどうするのかというネガティブなイメージは、以前からあった。最近はAIがシュールな絵を描いて表彰されたり、AIが俳句を作るなど、今ではAIが及ばないところを見つけるほうが大変に思えるようになってきた。そこで、AIに人間の知的行為をすべて任せたらどんな世界が誕生するのか想像してみた。AIといえば人間よりは、遥かに合理的な思考が出来るだろう、恐らくはさぞや効率的で機能的な世界になるのではないかと思う。ところで、それをそのまま突き詰めていけば遠い未来はどのような世界になるのか、私はすべての物が、何も動かない世界が誕生するのではないかと想像している。つまりAIにとって人間の行動は無駄の塊で、人間は動かないことが究極のエコロジーになる。最小限のエネルギーで生命を維持することがAIにとっての理想の政治となるのではないだろうか。いやいやそれではあまりにも世の中詰まらな過ぎるので、血液の中のエンドルフィンが常に最大値になるように、喜びの仮想現実を人間に与えるべきで、まるでSFのような試みがあっても可笑しくなさそうだ。

さてAIの進化はこのような退屈な生活を人類に招くのか、私はこれについてはそれほど心配していない。何故なら肉体以外のところに人間の行動を司る意識があるとすれば、その存在はそのような型押しの人生を人間には望まないはずだ。むしろあらゆる可能性に向かって人間が行動するように、厳しい采配を振るうかもしれない。「いずれも厳しー、助けてー頂戴!」

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Posted by makotoazuma