思考ラボ
2024年 6月15日 基準とは
物事を公平に判断するためには数量的な基準を設ける必要がある。例えばある数値が何々以上何々未満であれば、罪には問われないなど司法の秩序を護るためには重要な項目である。ところでそれよりさらに重要なことは、その基準が何故必要かということではないだろうか、例えばパーティー券の不正経理が問題についてテレビではこの問題が発覚した昨年暮れから大変な時間を割いてこの問題を取り上げている。これにより大臣は4人も入れ替わり、さらには、ほとんどの派閥が政界から姿を消した。ところがこれほど世紀の大改革を行ったにもかかわらず内閣支持率は、なぜか低迷したままなのだ。
ではなぜこれほどの大改革が国民に支持されないのだろうか、その答えは、この改革は民意を反映したものではない。ということに尽きる。つまり国民の多くは、この議論をテレビで視ながら「だから何なの?」という思いなのではないのだろうか。つまりこれを突き詰めても電気代や物価の高騰に歯止めがかかるわけではないのだ。要するにパーティー券を購入した人は政党や議員に少しでも力になればという思いでパーティー券を購入しており、収支がきっちり合わなければ献金しないという筋のものではないはずだ。とはいえ大量の献金で政治が左右されるようでは日本の政治は、この先希望を失うことになる。
だとすれば収支の基準をこねくり回すより、パーティー券という無記名の政治資金集めを禁止し、すべての政治献金は献金者が特定できる要件をすべて記載させることによって、後に特定の個人や企業が政治による不当な利益誘導があったかどうか審議する必要があるだろう、そうなればそれを審議し監督する機関を国会或いは政府の中に設ける必要があるのではないだろうか。
さらにこのような基準による問題は民間でも起こっている、例えば先頃自動車業界を震撼させた不正問題は一体どのような基準に不正があって、その不正によって顧客はどの様な被害を受けることになったのか、いまひとつ伝わってこない。これに関し民間企業の代表者は、終始平謝りしかできないのだが、このような事態に国益を守ろうとするメディアがあれば、もっと国民の目線に立ち、この事態をもっと掘り下げる報道があっても良いのではないだろうか。またメディアへの不満になってしまったが、これを私の単なる被害妄想とみる方もおられるかもしれない、とは言えお昼のバラエティー番組では、30人もいる都議選の候補者から、番組が取り上げたのはたった二人の候補しかいない、これが主要メディアの実態ではないのだろうか。