思考ラボ
2024年 11月17日 くだらないものグランプリ
先ほど「Dearにっぽん」という番組でくだらないものグランプリという不思議なコンクールが取り上げられていた。なんでもトヨタのおひざ元で製造業を営む会社が企画したイベントなのだそうだ。その切っ掛けとなったのが、コロナ禍の閉塞感を解消するためだという、とはいえ切っ掛けがどうあれ、私にはこのイベントが一時的なもので終わるようには感じられなかった。番組からはそう思わせる熱気が伝わってくる。そればかりか、私はこのような取り組みこそ日本の希望だと思っている。
というのも工業製品といえばお金に変えられる価値があってこその物だろう。そのためには製造コストと需要のバランスという厳しい現実があるはずだ。ところが、このイベントはその最前線で活躍する企業が、率先してその常識を根底からひっくり返す、まさにavant-gardeなイベントなのだ。因みに以前から私は日本が、毎年アメリカで開催される、ノーベル賞ならぬイグノーベル賞の常連国であることに誇りを感じている。一般的にこの賞はノーベル賞の冷やかしでしかないように思われているかもしれない。とはいえ私はここに、無限の可能性を感じているのだ。しかも興味深いことに、このようなことに熱心に取り組むのは産業革命の発祥の地であるイギリス人と日本人が圧倒しているのだという。
つまりユーモアとウィットという謎の思いに、人生の多くの時間やお金を費やせるのは世界でもまれな人々なのである。このことは私個人の感想というより、昔から日本人と出会った外国人がその旅行記に日本人はいつでもよく笑っていると記されていることから、昔から備わった日本人の特徴なのだろう。そしてこれは私感なのだがユーモアというものを突き詰めていくと、それは日本人特有の「もののあわれ」という思いにたどり着くのではないだろうか。この「もののあわれ」については源氏物語を研究されたドナルドキーン氏が、世界に向けて紹介されているところだ。奇しくも氏はハーバード大学に続き、ケンブリッジ大学でも学ばれたというので、ここからもイグノーベル賞との不思議な関りを感じてしまう。
くだらないものグランプリの話題からずいぶん話がそれてしまったが、要するにくだらないユーモアに労力を惜しまないという感性こそ日本人の特異な特徴であり、このことは工業製品の持つ物理的限界を、感情の世界という新たな地平に結びけることの出来る貴重なイベントなのだと思っている。