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思考ラボ

2024年11月17日gallery,ようこそ

自分とは何だろう?

という前に禅問答のお話です。師匠が弟子に空を見上げながら「ありゃなんじゃ」と聞きます。

弟子は、空を飛ぶ鳥を見て「あれは鴨です」と答えました。

暫くして師匠が、また弟子に問います。「あの鳥はどこへ行った」

弟子は、師匠に答えます。「あっちへ行きました」と空を指さした瞬間

師匠は弟子の鼻を思いっきり摘まんで言います。「まだここにおるじゃろ」

如何でしょうか、この話納得できる方は禅マスターと言われる方ではないでしょうか。このような問答を公案と言いますが、本来は弟子と師匠が一対一でやり取りする話で、文章にして語るものではありません。ただ、認識ということを共有するためには良い例えではないかと思い取り上げました。

私は自分とは何かと問われれば、これも認識のことだと思っています。つまり、自分という認識こそ自分のすべてであり、ここで認識される現象こそ、我々が疲労困憊しながらもあると固く信じている現実のすべてです。

冒頭取り上げた問答はそのことを言っています。師匠が「あの鳥は」と弟子に聞いたのは、弟子が現実を認識したその認識そのものです。ところが、弟子にとってあの鳥とは、空を行く鴨のことを聞かれたと解釈しています。

そして次の問い「あの鴨は」どこへ行ったと聞かれた時に、弟子の意識は当然空を飛んで行く鴨を追っていて、師匠の問いが、自分の捉えた認識のことだとは気が付きません。なので弟子は自分の記憶から、鴨が飛んで行った方向を示したわけですが、師匠からすればその認識はお前の中にちゃんと留まっているだろう、と言いたかったのだと思います。

このように現実、現象のすべては、自分が認識できる境界によって決定されます、言い換えればすべての現実は自分の認識で決定されるということです。覚悟したつもりでしたが、やっぱり簡単では無いテーマです。今日はここで力尽きました。では、また。

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Posted by makotoazuma