今日は好日
人生の目的
人は誰でも人生の目的について考えます。特に自分の置かれた立場に納得できない時、「こんな思いをしながら何故、生きながらえる必要があるのか」とその答えを探します。その目的を探す行為が人生だと仰る方もいます。
どなたの言葉か覚えていませんが、私も納得しています。ところで、人生には目的がないという言葉も聞くことがありますがということは、何もする必要のない暇をつぶすようなものだと受け取ってしまいます。
一般的に暇とは目的を持った行為と行為の間を暇と言いますので。人生に目的がないを受け入れると暇の設定が成り立たなくなります。議論というのは、所詮言葉のやり取りに過ぎないと思っていますので、いくら頑張ったところで結局虚しさしか残らないのではと思います。
人生の目的
先ほど言葉のやり取りと括ってしまったのは、人生に納得できない方その目的を探そうとする方は、この言葉の世界に答えを求めてしまいがちです。確かに言葉の世界を探ると答えは無限に湧いてきます。そのため、探求の行く末を思うと果てしなく遠い事のように感じてしまいます。たとえ今あなたが何京の情報量を得たとしても、あなたがたどり着きたいと思うところにはたどり着くことができません。身も蓋もない話のようですがじぶんの存在を感じることと、目の前に起こっている出来事を理解するためには、言葉による理解では限界があるということです。
例えば存在とは今あなたが画面を覗いているこの瞬間これが存在のすべてです。
それでは目の前で起こる現実というものは何故、認識されるのかそれは宇宙があなたの存在を望むからです。宇宙は何故か拡大を望んでいるようです。拡大とは空間の広がりだけではない のでややっこしいのですが、つまり宇宙の広がりは多様なエネルギーの動き、波の変化のようなものだと思っています。そこに目的になるような筋書きはありません。参考
悪人だろうが善人だろうが存在しているだけで波は起こります。つまり波とは存在が震えるだけのことで何かが増えたり減ったりすることでもありません。あなたが気持ちいいと感じてくれれば気持ちいい波が起こってくれます。嫌な思いは嫌な波を起こします。これが体験で、生まれ持った個性とはこの波を送る装置のようなものだと思っています。私たちに宇宙が望んでいることはありのままであなたが感じる波動を送ってほしい。そう感じます。