今日は好日
2022年 3月28日 天の恵み
今朝頭に浮かんだ言葉です。初めは恵みという言葉について考えていました。おそらく人間の営みと共に使われてきた言葉だと思いますが、その思いは実に謙虚で示唆に富んでいます。
というのも私たちの苦しみの多くはこの言葉から離れれば離れるほど、その存在感を増してくるように感じるからです。
私はこの言葉の根底にあるのは人間の力に対する限界ではないかと思います。要するに、その限界を受け入れて暮らす人々の謙虚さを感じるのです。つまり私たちの生活は人間の努力を超えた天の恵みによって支えられているという考えです。
人類はこのような考え方を受け継ぎ現在まで命を繋いできました。一方人類は科学や哲学を手にしたことによって天恵という思いに距離を置くようになってしまったとすれば、たかだか200年ほどの時間でしかありません。その科学によって人類は寿命を延ばし人口を増やしてきました。そしてそのことを、現代に生きる私たちは正義だと思っています。
ではこのような長寿と繁栄を手にした人類は、はたして幸せに生きていると言えるのでしょうか。
いったい幾人の人がこの地上の生活に満足して暮らしているのでしょうか、人類は現代まで何十万年という時間をかけ、この儚い命を現在まで繋いできました。その長さに比べて、近代化の始まった、この200年をどう受け取ればよいのでしょうか。
私は科学の進歩も起こるべくして起こっていることだと思っています。人間の意識が望んだことは常に具現化されます。ということは、その流れに逆らっても意味が有りません。それよりも恵まれるということについて、もっと目を向けてはいかがでしょうか。
それは、自然から私たちに無償で提供されているエネルギーです。このエネルギーは朝から晩まで分け隔てなくどなたにも降り注がれています。古代の人類はそのことに気づき感謝をささげていたはずです。天の恵みに感謝すること、幸せは長寿のことでもなければ繁栄ことでもありません。 ただ天からの恵みに気づいて感謝すること、それが天の愛を知ることです。