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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

 2022年 5月24日 詠み人知らず

万葉集や古今集などによく登場する言葉だ。だれが詠んだか分からない歌を詠み人知らずといってこれらの歌集に納められているのだが、いずれも日本最古の歌集と言われている。微妙な表現だが、古今集の方が最古の勅撰和歌集という学会で認められた肩書がついているために、いずれもという表現をした。もし万葉集が最古の勅撰和歌集という認定になれば、これからも表現が変わる可能性があるのだ。

さて万葉集の凄さの一つには、このような肩書を見事に払い除けてしまっているところがある。どれほど徹底しているかと言えば、天皇の歌からあらゆる階層に暮らす庶民の歌まで全く括りなく同列に掲載されているのだ。

ではこのような歌集は、どなたかの気まぐれでできたのかと言えば、さにあらず編纂には130年もの時間がかかっていて、あきらめたのかと思えば何とか復活して現在に伝わっている、当然これほどの時間個人での編纂には無理があると思う。

恐らくそこには国としての強い意志が働いているに違いない。ではどのような思いがこんなアナーキーな歌集を編纂させたのか、恐らくだが、この国は個人の尊厳を深く理解する国であるということと無関係ではないように感じる。いわゆる「おおみたから」とは単に天皇と臣民との関係性を示した言葉ではなく、もっと根源的な人間同士の繋がりを表現しているのではないかとも思えてくる。

ところで、ここへきて何故これほど日本という国は和歌を尊ぶのかという疑問が素直に湧いてくる。しかも神のお告げでも何でもない一般人の歌まで、古代から現代まで大切にされているのは何故かということだ。

今日でも正月には歌会始めという宮中の行事がある、天皇陛下自ら歌を披露される現在のスタイルは明治以降のものらしいのだが、鎌倉時代にはすでに行事として行われていたようだ、つまり歌を詠むことに国の政が関わるほど大切にされてきたということだ。私はそこにこそ、この国の神聖さがあり、いずれ来る未来に向けて、しっかりと受け継いでいかなければならない意思を感じている。

私はこのような神聖な意志が、日本の言葉に込められた日本の魂というものだろうと思っている、つまり言霊といわれる世界だ。我々日本人が未来へ受継いでいかなければならないのは、このような音声の世界だろう。仏教でも真言と言って解釈を望まない神聖な音声の世界がある、口から発せられる音は、人間の理解を超えた力を持って現象界に影響を与えるらしい。あるいはマントラという言葉も最近よく耳にするかもしれない。

実は最近カタカムナという古代から伝わる日本の歌が話題になっている。日本語として古代から伝わる言葉で、例えばヒフミヨイツムナナヤ、これらの言葉は、たんに数を数えているだけではない、そこには神聖で強い力がすでに隠されているらしいのだ。つまり日本語には勝手に読み替えてはいけない世界もあるということだ。