独立自尊 奥の細道
奥の細道初めの句 草の戸や住みかは替る代ぞ雛の家
私は芭蕉が旅立ちの前にあって、蕉風一門の未来に何らかの不安を感じていたと思っています。というのも蕉風一門の後目相続の心配があったのではないかと思うからです。私の予想では出発当時においても芭蕉は特定の門人に蕉門を引き継ぐことは決めていなかったと思っています。もし序文にあるように、本当にこの句を初めとする表八句が庵の柱に掛けてあったとすれば、芭蕉が庵に戻る頃には懐紙はぎっしり埋まっていたに違いありません。それどころかそのような物があった形跡さえないのです。さてこのような背景があったとして、この句の解釈を試みると、雛の家とは、ひな人形を飾った家というよりは、蕉門という古巣を象徴しているのではないでしょうか。というのも、このことを匂わせる文章が序文の蜘の古巣という言葉ではないかと思います。さらに芭蕉はこれをはらいのけたとまで言っています。つまり芭蕉はこの表現で、それぞれの門人にたいし自立を促していたのではないでしょうか。つまり表八句がこの世に存在しないのは、それぞれが自立し、我が意を受けよという芭蕉の心の叫びだったからではないでしょうか。
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自分でも驚くほど突拍子もないことを始めてしまいました。そもそも私にとって俳句は全くご縁のな
い世界なのですが、日本文化のすばらしさに改めて触れてみたいという思いから、ただただ勢いで始めてしまいました。初めは俳句の世界を私なりに解釈してビジュアル化できればとビジュアル重視で気楽に思ってたんですが、いきなり発句から自分の解釈を入れなければ表現できないことに気づきました。普通はそこで諦めるものだと思いますが、なにせ自分に湧き起こる衝動こそ真実の世界だと盲信している人間です。世間さまには申し訳ありませんが人の目は気にしません。ただ自分の満足のために始めたことなので、正しさや間違いもありません。求めているのは独立自尊の世界です。参考
それでは、奥の細道始まりの句 「草の戸や住みかは替る代ぞ雛の家」いろいろ解説を探しましたがどうも腑に落ちません、草の戸とは芭蕉の庵の戸板のことでしょうかまた雛の家とは庵を譲り受けた家族がひな祭りを楽しむ様子なのでしょうか。どうもしっくりきません。そこで私の勝手な妄想を始めました。芭蕉の庵は深川のほとりにあったようなので、その日芭蕉が春を感じながら家の周りを散歩していたところ、草むらの中に打ち捨てられた鳥の巣をみつけました、この句の草の戸とは傍から見えないように草が鳥の巣を覆っている様子を表現しているのではないでしょうか。
そして、この巣で過ごした雛は今頃、大空をゆうゆうと羽ばたいているのであろう、そんな鳥の自由な姿にこれから自分の向かう旅を重ね合わせ期待に心を躍らせているように感じます。