独立自尊 奥の細道
月清し 遊行の持てる 砂の上
前回の句を通して解釈すると芭蕉の心持の清々しさを詠んだ句のように感じる。もちろん遊行の持てる砂は当時も存在していなかったので芭蕉は夜に訪れた氣比神宮で、境内に敷かれた砂を遊行の砂に重ね合わせて詠んだ歌と解釈されている。本来は次に詠まれた句も合わせて紹介するべきかもしれないが日を改めて詠まれた句として次回とした。
さっそくこの句にある遊行の持てる砂とはどのようなものなのか、これは敦賀にある氣比神宮の故事によるものらしい。それによると鎌倉時代に生まれた時宗は開祖一遍上人によって誕生するが、すぐに衰退してしまった。その後弟子の他阿上人により時宗の再興を果すことが出来たのだが、この際、上人が氣比神宮に参詣しようとしたところ、参道に出来ていた水たまりを埋めるため、自分も民衆に交じって、一緒に砂を運んだというものだ。
芭蕉はこの神社を訪れた際、阿他上人が布教のため一生懸命衆生と仏の救いの溝を埋めるように砂を運ぶ様子と自分が広めている蕉風の世界をこの故事に重ね合わせてでもいたのだろうか、実は私としては、この逸話は芭蕉の心に空いた大きな穴を清らかな上人の砂で埋めてほしいという願いではなかったかと思っている。
それにしてもこの氣比神宮にまつわるいわれは多い、特に義経記によると、この敦賀の港から一行は船に乗って佐渡に向かったとされている、私は「荒海や」の句は義経がこの時、目の当たりにしていた情景を芭蕉が句に重ね合わせて詠んでいたのではないかと考えている。また、この神社へは木曾義仲が戦の勝利を祈願して所領を寄進したといういわれもある。などなどとてもブログの記事では収まらないほど由緒ある神宮なのだ。