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1995年「流れ星の来る日に」この絵のタイトルです。

2021年12月4日gallery,ようこそ無意識 シュールレアリスム

この翌年1986年4月にハレー彗星が地球に大接近します。おそらく当時はその話題で持ちきりだったのではないかと思います。

76年周期で地球に接近してくるこのすい星を生で見ることが出来るのは、私にとって一生に一度のことです。その彗星が夜空にだんだんとその存在感を増してくるさまは、宇宙に浮かぶ地球の存在と人間の歩んできた歴史を繋ぐものです。なにせこの前の大接近では日本は明治の時代でした。江戸時代の生活様式を捨て西洋の生活様式を取り入れることで西洋人の植民地主義に対抗しようと必死にもがいている処です。おかげで翌年、それまで結ばれていた他国との不平等条約はすべて撤廃されました。

このようにみると日本の維新が西洋人の思うとおりに運ばれたというのは一方的過ぎるように感じます。私は日本と他のアジア諸国との歴史の違いは契約というものの理解ではなかったかと思います。日本の地理的優位性は否定できませんが、西洋人と対等に交渉するためには契約という概念が必要になります。つまり契約を遵守する文化がその国民に根付いているかどうかが、相手を契約上の対等な立場に置く鍵になります。日本では有史以来、司法を尊ぶ文化が有りました。軍事力が必要になるのはその最終手段まさにルール無用の世界です。

話がそれました。さて彗星の去来を1986年の世間ではどのように捉えていたかというとあまり良いイメージではなかったと思います。彗星がくる年は疫病が流行ったり大きな事件が起こると噂されていました。この絵はそのような漠然とした不安を表現しています。

画面はF100号のキャンバスの縦おきを二枚繋げています。横264×縦162(cm)になります。そして左に夜、右に日中のプラットホームを描いています。人々は自分の意志とは関係なくむき出しの貨車にのってレールの上をただ運ばれてゆきます。自分では貨車に乗っていることさえ気づいていないようです。そしてそこでは正義に見送られながら戦いに明け暮れ、また突然の事故に希望を失ったとしても、走り続けるその貨車から誰も降りようとはしません。一見空を飛んだり、宇宙に向かって飛び出したり人間は自由の翼を広げているようですが、プラットホームに降り立つ人は僅かです。参考