2022年 自由を歩む
何からの自由かと言えば、自分の捉われからの自由だ。つまり自分の意識をがんじがらめにしているであろう捉われからの自由だ。何故そんなことを試みようとするのかと言えば。意識こそ現実を想像する根源だと思うからだ。
私は現実から感じる酸い甘いのほとんどはこの意識の捉われによって起こっていると思っている。簡単に言えば「ねばならない」の世界だ。私は世の中の余計な「ねばならない」によって、多くの創造性が失われたり、悲しい出来事が起こっているように感じている。さて、これらのことと今日投稿した絵や文字が何の関係があるかと言えば、かなり言い訳がましい。
私は自分に自然と湧いてくる思いを制作の動機にしようと思っている。前回は心の鏡という抽象画を投稿させてもらったが、今回は劇画タッチの武将だ。
何の脈絡もないのだが、これが気まぐれなのかと言えばこれこそ私のスタイルだと思っている。かっこよく言えば、何物でもない自分を貫くことだ。つまり、見たいときに見たい絵を描くということなのだが、それによって被るデメリットも計り知れないと思う。結局世の中は何物でもない人を求めてはいないのだ。にもかかわらずこの歩みを止めないのは何故か、私はそれほど世の中というものを信じていないのかもしれない。真実はきっと自分の中にある、と思い込んでいるようだ。
さて、投稿の絵と文字だが、この武将のポーズと風林火山の文字は正直合っていないと思う。実は流れにゆだねる
の作品とついで考えているのだが、両方の絵面が合わなくなってしまったので現在調整中だ。