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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 5月16日 幸福の最大公約数

私はそれが国に求められるすべてだと思っている。そしてそのことが多数決の民意によって支えられることが民主主義国家なのではないだろうか。とはいえこのことが少数派の意見を無視しろということではない、少数派の意見にも多数派がまだ認知していないだけの有益な意見が多くあるからだ。この隔たりを少しでもなくすることが議論というものの命題のはずだ。

このように考えると国の使命の第一位に来るのは国民の生命が守られることだろう、そこには外圧や食量供給の問題があり、そこで培われた文化の継承や国民の尊厳を護るということも国という括りを考えるうえで大切なことだと考えている。このように国の使命には優先順位がある様に思える。

そして近代国家にはこの流れを円滑にするための経済があり、それによって生活に輝きや潤いがもたらされることになる。人は生活が安定することによって文化的好奇心が高まってくる、そのため諸外国との交流はその好奇心を満たしてくれる大いなる喜びになる。当たり前のことを書いただけだが、世間で騒がれる諸所のことは果たしてこの流れに沿ったものだろうか考えてしまう。つまり国会で取り上げられる優先順位はそれでよいのかという問いだ。例えば国民の安全よりも外圧が優先されるような事態は、この流れに即した取り組みだといえるだろうか、あるいは経済だけを優先することによって国民の生命が逆に顧みられない事態になってはいないだろうかという懸念だ。

民主主義が成立するためにはこのような価値観の優先順位が前提にあり、それゆえ議論によって自国民の幸福を追求していくことが出来るのではないだろうか。初めから個人や他国の利益を考える価値観とは、議論が深まることはないのではないだろうか。結局国を愛するという共通の考え方がなければ、議論は対立を際立たせるだけのように感じる。義務教育に求められるのは、このような価値観が育つことである。そこから初めて有意義な議論を尽くし希望の持てる国家が育まれるのではないだろうか。