今日は好日Vol.2
2023年 5月19日 本物を見たいわけ
昨日道立函館美術館で新山本二三を見てきた。きっと図録の表紙にあるこの雲を見ているだけで何かイメージが湧いてくる方もいるかもしれない、私は真っ先に天空の城ラピュタでバズーとシータが飛んでいたあの空が頭に浮かんでくる。正直この展示を訪れるまで山本二三氏の名前をどう読むかさえ知らなかった。展覧会のポスターは目にしていたものの、昨日まではフミさんだとかってに思い込んでいたが、正解はニゾウさんだったのだ。案の定それを知ったら急に、その名前から受ける印象は突然恐れ多い存在になってしまった。
とはいえそれまでのアニメがもつ絵本のような子供あいての世界から、大人も楽しめる写実の世界にアニメの印象を変容させてしまった功績は大きい。私が訪れた昨日も訪問者の多くは我々のように白髪で、第2の団塊の世代ともよばれた人たちだ。その世代を代表する文化がすでにここにあったのだと思うとこの展示の重みがわかってくる。
ところでデジタル技術がどんどん進む現在にあって、このような手書きの背景画が我々に伝えるメッセージとはなんだろうか。
というのも以前から2次元で表現された作品を鑑賞するために、わざわざ美術館に足を運ぶ必要はあるのかという問いを、私はどこかで目にしていた、その問いに私はある思いを感じていたのだが、昨日の体験でその答えをさらに確信することが出来たのだ。それは家に帰って展示の記憶と図録の絵を重ね合わせても、原画から受けた引き込まれるような感覚を図録からは感じることが出来なかったからだ。実際私はすべての作品の前で足が止まってしまい、何百メートルもない会場を後にしたときにはすでに1時間半以上も時間が経過していた。
展示を見終えて思うことは、たとい2次元の架空世界であっても、そこから受ける幸福感は3次元での実体験とさほど違いはないと思えた。むしろこれほど多くの人が、この時代にアニメによって共通の体験をしたのだと考えるとなんだか微笑ましい思いがするのだ。
もののけ姫のシシ神の森の絵を見ていたらアシタカの思いが浮かんできた。そこで一句
「五月雨の 鞘に納る 至誠かな」