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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 5月25日 公園に現れた変なおじさん

そのおじさんは夕暮れの公園に、夏も近いというのにコートを着て佇んでいた。学校の帰り道、ひとりでその公園に差し掛かった花子さんはその男の怪しさを感じて、なるべく男に目を合わせないようにして距離を取って通り過ぎようとした。ところが、花子さんが気づくといつの間にか男は花子さんの目の前に立っていた。花子さんが驚いて男の顔を覗き込むと男は両手でコートを一気に広げた。「きゃー助けて」

花子さんが、大声で助けを求めたところ、偶然通りかかった警官が男を取り押さえた。男は公然わいせつの容疑で無事現行犯逮捕されたのだ。なじみのある痴漢逮捕の一コマだが、最近このような常識が一部の政治家によって、これが犯罪といえるのかどうか決めかねることになりそうだ。というのも公然わいせつというのは善良な性的道義観念に反すること、とされているのだがこの善良なという言葉も道義的観念という言葉も差別に当たるのではないかという疑念が、いま国会で審議されている法案によって湧いてくる。

今国会で審議されている法案は性的嗜好を認めましょうと言っているのだが、今の例に当てはめてみると、逮捕された男の性的嗜好は自分のありのままの姿を世間にさらすことだ、つまりこの行為はこの男にとって止むに止まれない性的嗜好であったとは言えないだろうか。もし今の法案が成立した場合、この男の性的嗜好は法律に反するといえるだろうか。

そればかりではない、法律的に善良な市民という定義に基づけば、善良な市民とは偏った考えを持たない社会的にごく普通の人という解釈になる。しかしながら、このような議論を進めていくとこの事案は法律学者どころか哲学者まで巻き込む議論となるに違いない。というのも、あらゆる法律に優先されるのが公序良俗という考えである。この考えが成立するためには、あらゆる性的嗜好がごく普通の人の嗜好として認められなければ、善良な道義的観念とは相反することになるのではないだろうか。この点での国民によるコンセンサスは得られているのかという問題である。私はこのようなわいせつの問題は普通の人が常識的な見地から受ける印象によって判断されるべきものだと思っている。つまりごく普通に暮らす人が不快感を持つかどうかが公序良俗というものの基本的な認識ではないだろうか、当然その認識は国の文化や宗教によって変化するはずで、国が優先して配慮するべきなのはむしろ、そちらの配慮ではないだろうか。

私はこの問題が、すでに国民のコンセンサスを得られているとは思えない、むしろこの法律を成立させることは、公序良俗という国民がもつ自然な道義観への挑戦のように感じている。国会議員にも法律に携わる資格を持つ方が多くおられるはずだが、このような発言がみられないのは何故なのか我々国民は、どれほどの悪法といえども一度成立してしまえば従わない選択肢はないのだ。

ならばこのような立法府に対し異議を唱えることが出来るチャンスは国民にとって選挙しかない。