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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 5月27日 明るいnational

私の世代がnationalという言葉を聞くとすぐに頭に思い描くのが乾電池だ、私はこれが社会の常識のように思っていたが、今現在nationalという会社はこの世に存在しない。というのも松下電機のnationalは2008年に社名をパナソニックに変更している。

この日本を代表する家電メーカーは、1918年大正7年に操業を始めた。当時は油やガスが照明の主流だったが、電気がそれに変わり始める過渡期だった。松下幸之助といえば自分の企業のことばかりでなく国の在り方にも大きな影響を与えた偉人だ。

その思いがこのnationalという社名に込められている。ところで戦後は国家という言葉から個人が尊重される時代になった、そのためお国の為、などという言葉を使う人間は、愛国者というより軍国主義者という視線を浴びせられるようになった。確かに彼らの言動は私も含めまるで軍隊を賛美するような言動が目立つ、そればかりか他国に対する言動も暴力的でデリカシーのかけらも感じられないほどだ。

それゆえナショナリストを自任する人は、自分が常にこのような視線にさらされていることを忘れてはならないだろう。とはいえこれほど世界の潮流に逆らってまで自分をナショナリストだと思うのは、私が日本の歴史に深く共感しているからに他ならない。その歴史とは文字に記される歴史以前から国土の恵みに感謝し、ささやかな営みを大切にしてきた歴史があるからだ。研究によると縄文人は何千年もの間一か所に定住して暮らしていたとされる。当然彼らもその間、今と変わらず自然災害や病気などに見舞われていたはずで、なん千年もの間幾度もそのような困難を乗り越えてきたに違いないのだ。

このことを尊いことだと思えばこそ、祖先が平和の象徴である皇統を心血を注いで維持してきた歴史にも深く頷くことが出来るのではないだろうか。

このように今ある我々の命もまた個人の才覚によって苛烈な生存競争を生き抜いた結果だというよりは、個人がコミュニティーを支え、その結果コミュニティーと共に個人の命が維持されてきた結果だと思うのだ。