今日は好日Vol.2
2023年 6月4日 純粋な音
昨晩サカキマンゴーさんのコンサートに行ってきた。昨晩の函館は天気に恵まれ穏やかな初夏の訪れを感じさせていた、そんな中土蔵を民家に改装した小さなコンサートホールに20名ほどの観客が集まった。
会場では香がたかれ、天井からアフリカの人々をモチーフにした写真が連凧のように下げられてエキゾチックな雰囲気を演出していた。私がこのコンサートに興味を持ったのは演奏に使うカリンバという楽器のためだ。この楽器と出会ったのは7年ほど前の函館国際民族芸術祭でカリカイティ・リコティさんの演奏からだった。その時からこの楽器のあまりの音の綺麗さにすっかり魅了されてしまっていた。おかげで私の誕生日プレゼントはこのカリンバになってしまった。ところが、たしかに音はきれいなのだが楽器についている鉄のピンをはじくたびに親指には痛みが走った。この痛みに耐えられなかったのは私だけではなかっただろう。通販で購入した楽器には初めからゴムの指ぬきのようなものがセットされていたのだ。
そんないわくつきの楽器が家の近くで演奏されることを知って行かないではいられない、さらにこのコンサートツアーに付けられたタイトルも親指遍路とは、なにやらその道が困難であることを物語っているようで、カリンバ挫折者としては、ただならぬご縁を感じてしまったのだ。因みにカリンバという名前は製品名でアフリカではムビラと呼ぶそうだ。
さて始まったコンサートはたった一人の奏者にもかかわらず電子機器を駆使したとても厚みのある音楽だった。また演奏される楽器もムビラだけにとどまらず、歌やゴッタンという電子三味線をリッチーブラックモアのようにかき鳴らして聴衆を驚かせていた。
ところでそんなコンサートの合間この楽器が持つあまりにも透明な音色に私は異世界に引き込まれるような思いを覚えていた。というのもこのムビラという楽器は小さな木の箱に鉄の細いピンが止めてあり、そのピンをはじくことで音を出しているのだが、その音色を耳にしただけでは、これほど単純な構造の楽器を想像することは難しいかもしれない。しかも昨晩の私はその透明な音を聞きながら鉄という金属固有の音を耳にしていることに気づいた。つまり鉄特有の振動数を有機物である私の耳が心地よく感じていたということなのだ。
とかく金属といえば、有機的な世界とは対極にある世界を思い浮かべてしまうが、その無機質な金属の持つ響きがこれほど人間の魂を揺ってくるということは、金属の振動には魂と繋がる根源的な作用があるのではないかと思ってしまう。今思えば美の壺というTV番組にあった鈴の音も確かに金属の音に違いない、その金属の音を日本でも古代から積極的に祭祀に取り入れているからだ。
そう考えると鉱物は有機的な生命と対峙するようなものではなくむしろ物事の本質が、そこにこそあるのではないかという思いが湧いてきたのだ。つまり宇宙にある物質は根底に流れる共通の振動数で繋がっている、だから人間はその純粋な振動に出会うことで心の故郷に帰ったような思いを感じるのではないだろうか。