今日は好日Vol.2
2023年 6月20日 改めて民主主義を問う
最近のニュースを見ると民主主義とは何か自信が持てなくなってきた。民主主義が生まれた経緯にはいろいろ解釈があると思うが、国民主権ということには違いがないと思っている。ではその国民とはどのようなものかといえば、平等な人権を持つ国民の権利でそこに優劣を設けないということが基本になる。とはいえそれでは物事を決めることが出来ないので多数決で決めようということなのだが、それには物理的な限界があるために、地域によって代表を決めて代表にそれぞれの意見を集約させることで間接的ではあるが、民意が国の政策に反映されることになると理解していた。
その代表を決めるのが選挙であり、代表者は選ばれたからと言って何をしてもよいはずがない。少なくとも選挙に当たっては様々な主張を選挙民に約束し、その賛同を得て当選したからにはその約束を果たすことが、何をおいても議員が果たさなければならない責任のはずである。ところがこの度参院選前には全く議論もされていない法案が国会を通過してしまった、それもこれまでの常識を遥かに逸脱した行為によってそれはなされたということだ。これでは民意が反映された国会とは言えないのではないだろうか。
少なくともこれまではこれほどの重大な決定を行うに際しては、解散によって改めて国民の信を問うということがなされてきた、ところが今の政府にはその姿勢すらない、まったく民意を無視して保身を図っているようにしかとれないのである。
恐ろしいのはこの状態のまま外交が進められているということなのだが、このことは世界的に大変不幸な結果をもたらすことになるだろう。というのも私はこの世界的な危機に際して日本が唯一平和への重要な鍵を握っていると思っているからだ。残念ながら、我が国の首相にはその自覚が全くない。西側の一員のように振舞ることが我が国に平和をもたらすことだと思っているのではないだろうか、私は軍事的にはどちらの側にも立たないことが、この戦争を速やかに解決させることに繋がると思っている。なぜなら日本が片方に味方することは地政学的な見方から、この対立の構造をますます際立たせてしまうことになると考えるためだ。
このような方向でロシアとの交渉をサミットで行うことが、戦争の恐ればかりではなく、金融の安定を維持することにも繋がり世界経済のために役立つことだと考えていた。ところがふたを開けてみると、サミットで日本が行ったことは全く形骸化した根拠のない核廃絶のパフォーマンスで目の前の核の脅威が迫っているにもかかわらず、それには何ら貢献するものではなかった、そればかりか挙句の果てに党拘束をかけてまでマイノリティーへの配慮を急がなければならないとは、あきれ果てて失望しかない。これほどの情熱があれば公約の憲法改正など造作もないことのようだが、先の参議院選での勝因をまったく意に介してはいないのだろうか。
とはいえこのような不条理な状態は日本だけに限ったことではない、世界ではさらなる混乱が起きているために、じっと日本の動きを見守っているのだ。