今日は好日Vol.2
2022年 12月22日 冬至
今日は冬至です。そして冬至と聞いてすぐに頭に浮かんだのがかぼちゃの汁粉でした。何やら怪しげなイラストを描きましたが、一陽来復という文字とかぼちゃを描きました。 何故今日このようなイラストを掲載したかというと、一陽来復は冬至を表す言葉なのだそうです。では私がブログのネタのためにこの言葉を見つけたのかといえば、まったくの偶然でした。私がこの言葉を知ったのはNHKの趣味どきで開かれている茶の湯の講座を覗いたからです。この講座で使われていた一陽来福という言葉を偶然検索していたら、一陽来復という言葉が見つかり、この言葉が表すのは1年に一度来る冬至の日つまり今日だったんです。
本当に不思議としか言いようがありません。 ところで茶の湯の世界といえば、海外の人は日本人なら誰でも心得ているだろうと思われるかもしれませんが、悲しいことに、そうではありません。私もいつかは茶の湯の世界に触れるべきだと思いながら、果たせずにいました。 つまり日本人に生まれながら祖先がどのような思いで暮らしていたのか、何を大切に思っていたのか触れずに時を過ごしてしまったということです。 さて、私が茶の湯を初めて見たときは、あのゆっくりした動作がなにを意味するものなのか、さっぱり分かりませんでした。それは座禅が何故身じろぎせずにただ座り続けるのかという疑問と同じものだと思います。 茶道の規則的な動作の連続は一見舞踊のようにも見えますが、外に向かって表現する舞踊と違い、茶道における動作の一つ一つは、自分の心の動きと連動しています。
つまり茶道の抑制された動作は、その動作によって現れる自分の心に目を向けるようになります。そこから浮かび上がるのは、茶会の準備の段階から込められた亭主の思いや茶器などから受ける感動です。 茶席はそれぞれの人生をひとまず横において、ひたすらその時を味わうための装置なのでしょうか。 このような人生の楽しみ方は、どこの国の文化にも見つけることのできない極めて稀な感性です。我々が日本を守るというのは、単に武装で命を守ることだけでは収まりきりません。 このような美意識や日本人の持つ特異な感性を守ることは、意識的に受け継いでゆく確固とした意志がなければ受け継いでゆくことなどできません。世の中にはお金に変えることのできない大切なものがあります。