今日は好日Vol.2
2023年 6月29日 軍隊とは何か
戦争をする人たちだという答えが返ってくるかもしれない。では戦争と殺人は同じものだろうか、と考えると戦争は国際法上、国同士の紛争を解決する最終手段とされている。そのため大きな意味では戦争も外交手段の一つなのである。
とはいえ国際法などというものが存在する以前からも世界中武装集団は存在していた。おそらく文字が出現する前からごく自然に存在していたのではないかと想像できる。最初は個体のテリトリーを守る行為から国という大きな括りの紛争にまでその規模が拡大してきたのだろう。
とはいえ戦争と個人的な諍いには明確な違いがある。その違いとは国という括りと国際法というルールを認めるかどうかにある。つまり国というものを認めない人にとって戦争は殺人と変わらないのである。こうなると戦争行為を規定する国際法などは、さらさらどうでもよいことになる。
ところで私にとって国とは国土と歴史、文化という国民の営みそのものと考えている。もしも、この内どれが欠けても日本人は存在しえないのではないかとさえ思っている。実際ここに危機が及ぶことがあれば最終手段の武力行使もやむなしという考えだ。とはいえ私は日本国民である前に人間としての尊厳というものも、けっして失ってはならないことだと考えている。話を整理すると国益のためには戦争も辞さないが、そうではあっても人間としての尊厳は失ってはならないことだと考えている。
さて人間の尊厳を保ちながら、お国のために武力行使に至るとはかなり混乱してくるところだ。そのためこのことについては国際法による様々な戦闘への規制が定めてある。これはいかなる悲惨な戦闘行為においても人道上最低限守るべきルールになっている、このことが戦場においても人間としての尊厳を保つことだと私は考えている。そしてここには大量破壊兵器の使用禁止や一般市民への攻撃の禁止などがしっかり明文化されているのだ。私はこれらの国際法による実効性を高めていくことが、核兵器の廃絶や一般市民を巻き込む可能性のある戦闘行為を止める手立てになると考えている。
そのためにも、日本人にはもう一度軍隊とは何か再認識する必要があるのではないだろうか。つまり軍隊とは武器を持たない一般市民と武装したものとの違いを法律によって規定するものだが、そもそも武力保持や武力行使を禁止する現憲法では、このことについてまともに向き合って議論することすらできないのである。つまり他国では一般人が守らなければならない刑法と軍人を対象とする軍法では運用が全く異なるこの点、先ごろあった自衛隊の事件も軍法を持たない自衛隊は事件をすべて刑事事件として扱わなければならない。つまり軍事行為が法律で認められなければ、彼らの立場はすべて刑法で裁かれるという大変不合理な状態になっている。
またこのことは日本が国際協力や他国との同盟関係においても対等でありえないことに繋がっている、何しろ日本には主権を保持するための軍事力がないからだ、通常主権はその国の軍隊によって守られるというのが国際常識だからだ。そのため海外では日本の外交を財布やキャッシュディスペンサーのように例えらるが、このことに対し政府は全く意に介してすらいないようだ。それどころか政府は、この国にはまるで民意すら存在していないかの如く振舞っているのである。
このことは選挙前には全く公約に無かった法律が粛々と国会を通過しているからだ。これは民主主義の基本である多数決の原則すら無視して行われた暴挙である。これでは、法律そのものの信用も失うことになりかねないのである。つまり法律の実効性を顧みないこのような態度が、WW2以降起こった世界中の戦争で、当然のように都市攻撃を行ったり核保有国の拡散を招いているのである。
結論を言えば現憲法をこのまま保有することは、憲法をむしろ蔑ろにする行為にほかならない。その結果このような風潮は、国際法をも蔑ろにすることに繋がり、国際法で禁じられた都市攻撃や大量破壊兵器である核拡散に歯止めをかけることが出来ないのである。日本は国連加盟国の立場を維持するのであれば、その基準となる国際法に順じた国防軍を憲法に明記し、その立場から国際的平和維持活動に向かうべきである。