G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 7月8日 どうする視聴率?

現在大河ドラマ「どうする家康」の視聴率が低迷しているという話題がネットで流れている。私は毎週楽しみにしているドラマだけに視聴率が低迷しているなどとはいままで知らなかった。むしろ前回話題となった鎌倉殿の13人に引けを取らない面白さだと思っていた。これでは大御所三谷幸喜氏もうかうかできないとすら思っていたからだ。それほどドラマは挑戦的でオリジナリティーを感じさる独特の視線を持っている。例えば泣き虫で心の弱い家康像というのは私にとって新鮮だった。また忍びに否定的な印象を持つ服部半蔵の表現は、俳優の演技も相まってこのドラマが単に歴史の再現では終わらないことを感じさせていた。また、デジタル技術を駆使した舞台背景はハリウッド映画でも始まるのかと思えるほど凝っている。

ここまで意欲的な作品が何故視聴率が低迷するのか、頭をかしげてしまう。ところで前回のドラマでもあったが今回このドラマでも気になることがあった。そこで、私はこのドラマの視聴率の推移を調べてみた。最初このドラマは15%を超える立派なスタートを切っている。おそらく登場する豪華な俳優陣が貢献したのかもしれない。そこから視聴率は12%あたりを保ちながら、ある回で急に7.2%と視聴率が落ち込んでいる。それが、「どうする側室」という回だ。調べてみると私が違和感を感じた回いとぴったり同じ回だった。

その回で私が違和感を持ったのは、同性愛についての露骨な表現だった。というのもそこれまでの緻密なドラマ展開から、その場面は明らかに唐突で必然性を感じない展開だったからだ。この場面は、どうしてもドラマに必要な場面だろうか、というのも日本の歴史の中で同性愛などは社会において何ら摩擦を生むものではなかった、それよりも社会が求めたのは血縁をいかに絶やさないかで、そこに個人は何ら抵抗できるものではなかっただろうし、だまってそのことを受け入れてきたからだ。つまり日本では性差や性的嗜好についての問題は、昔から社会的に認知されてきたことで、今更意識を変えなければならないような問題ではない。むしろ希薄になった血縁関係によって家という制度は立ち行かない状態にまで追い詰められている。

このような状況にあるにもかかわらず、ドラマによって個人的な嗜好や認識を優先させるという考えを無意識的に刷り込もうとするのは、正しい歴史観を捻じ曲げようとしているとしか思えないのである。これほど刺激臭のある表現を歴戦練磨の脚本家が不用意に書き込むというのはありえない、むしろその表現の挿入をどこからか求められた可能性のほうが高いだろう。

私は、これが放送局全体の意志だったとは考えたくない、何故ならこの放送局は外的圧力を排除するためスポンサーを設けず、その運営に当たっては公共料金という括りで受信料が徴収されているからだ。このため数あるマスコミの中でも特に中立な態度が求められているのだ。

大河ドラマといえば、日本の歴史と娯楽を結び付けた大変意義のある放送番組だ。この信頼にひびが入ったとなれば日本にとっては大きな損失ではないだろうか。このような視聴率の低迷などという悲しい事態が、俳優やドラマ制作を支えるスタッフのせいではなく、LGBTQなどという日本になじまない圧力によって生じているのだすれば大変悲しいことである。日本人は視聴料を納めていながら、自分たちに馴染まない文化を無意識に押し付けられているのだ。頼もしいのはこのような違和感に視聴者が敏感に反応していることだ、この回を切っ掛けに視聴率が回復しないのは、このドラマの視聴者は私よりずっと厳しい目でこのドラマを見守っていたということなのだろうか。