G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 7月12日 天明の復興プロジェクト

英雄たちの選択というTV番組で、江戸時代に起きた浅間山噴火の災害復興について紹介していた。1783年に噴火した浅間山は周辺の村々に大変な被害をもたらしたそうだ。番組では群馬県鎌原(かんばら)村の災害復興に当たった幕府勘定吟味役・根岸九郎左衛門を取り上げていた。

ところで、江戸時代のイメージといえば、侍が階級社会の頂点に立ち刀を腰に差して有無を言わさぬ政治を行っていたというイメージがある。そのため、江戸時代の市民は武力には逆らえず、大変差別的な環境を仕方なく受け入れていたというイメージがある。私もこの番組を見るまでその考えに間違いがないと信じでいたのだが、今はそれが短絡的な思い込みだったのではないかと感じている。

というのも1783年といえば、もうすぐフランスで有名な革命が起こるところだ。この革命も食糧難による暴動が起こったことは間違いないとして、それがただちに革命に繋がったと思うのは早計だろう。つまりそこに至るまでには、多くの思想的な前提が整っていなければならない。番組では日本もすでに、このような有産階級が江戸文化を牽引していたと伝えている。ここえ飢饉が襲ってくるという同じ歴史の流れは興味深い。というのもこれらの災害にフランスと日本の歩んだ道は全く違っていたからだ。その違いの原因について考えるきっかけをこの番組は与えてくれたと思っている。

さてこの番組によると、幕府から根岸九郎左衛門という勘定奉行が鎌原村を襲った泥流被害の復興に当たったのだが、この村の人口は570人だった。そして、このうち477人が災害で一時に命を落としたそうだ。その被害がどれほど急だったかといえば、キセルに詰められたタバコがそのままの形で見つかったそうだ。つまり煙草に火をつける間もないほどの勢いで被災してしまったようなのだ。この災害にたいして地元に暮らす二人の名主が、私財を投げ打ち復興にあったったそうだ。しかも自宅まで開放し被災者に炊き出しを行ったそうなのである。つまり普段から地域で財を成した名士たちはその覚悟で暮らしていたということだろう。

ところで、この地の復興を幕府から任された根岸九郎左衛門の行動といえば、被災者の一人一人の安否確認から始まり、詳細にその状況を幕府へ報告されている。つまりこのことは、当時から個人一人一人の命にたいして関心が向けられていたということだ。しかも最も衝撃的だったのは、この復興計画には住民の思いに配慮して行われたことだ。これほどまで市民に寄り添った行政を、現代に暮らす私は想像することすらできなかったのだ。私が思いつくのはせいぜいお金や作業の効率のことで、安全性を考えれば災害の起こった地域は再び災害に見舞われる可能性が高いことから簡単に移住を勧めてしまうだろう。ところがこの英雄の考えは違った。このことは果たして住民の幸せにつながることだろうかという思いが復興計画の方針を決めたのだそうだ。このため根岸九郎左衛門のとった決断は今までの地で復興を推進することだった。

とはいえその計画は土地や住宅の整備の前に、この地に住む新しい家族を作ることから復興計画は始っている。なんと被災の3か月後から婚姻や養子縁組が行われ、新たな農地の区割りまで行ってしまった。現代において最も置き去りにされるところから復興事業は始まっているのだ。その後も当時のまま私有地の区割りは鎌原村に残っているのだ。ところでこれで災害は治まったのかといえば、それどころか災害は、日本全国へと広がっていく。

さて同時期にフランスでおこった革命によって現代の民主主義は誕生したともいえる。また右だ左だリベラルだという呼び方も、テロリズムの語源でさえこの時を切っ掛けに生まれているのだ。

では、この両極端の政治が、その後どのように変化していったのか、その後日本の歴史は開港までの、100年間対外的な戦争はなかったように思っている。

では一方のフランスではどうだろうか、この後この革命は民主主義のシンボルとしてまた実際に民主主義政治の基礎になっている。しかしながら世界中に平和が訪れたとは言い難いのではないだろうか。西洋では理性が平和を維持するための共通認識であり、その認識を具体的に明文化したものが法律である。したがって、すべての人間が、共通の法を守ることが出来れば世界は平和になる。という考えのもと世界の政治は形成されているが、世界情勢はその理念を反映しているのだろうか疑問である。

これに対し、日本人は相手の置かれている立場を重んじる、つまり絶対的な共通認識よりも相手のおかれている環境を理解することで相手との共感を深めるという考え方だ。私はこのようなことから本来日本人は見かけ以上に外交がうまいはずだと思うのだが、最近の評判はどうだろうか。