今日は好日Vol.2
2023年 7月19日 法の支配
これに対して暴力による最終的紛争解決が戦争というものだろう。とはいえ、この最終的な紛争解決ですら法の支配を受けている。これに対しこの支配をうけない行為を虐殺やテロと表現している。これからお盆が近づくと、巷では太平洋戦争を取り扱う話題が増えてくる、その中で特別攻撃を自爆テロなどと同様に表現されることがある。しかし、特攻は戦争行為の中で行われた作戦なのだ。この作戦がどれほど愚劣であったかを論じる前に、これは軍事作戦の一環であったことを今に生きる日本人は認識しておく必要がある。
何故私がこのようなことを言っているのかといえば、世界の流れが法の支配を無視し、感情に動かされているという懸念を持つからだ。昨日取り上げた輸出合意の件も取り交わされた内容には全く触れずに合意の停止という結果にばかり目が向いていないだろうか。そればかりか、そもそもこの戦争が始る切っ掛けになった停戦合意にすら1年半以上かけても何ら調査の進展が見られないからだ。
このような状況で私が最も法の支配を逸脱する行為だと思っているのが大量破壊兵器の保有だ。このことを保有国は核の抑止力だと言っているが、そのような平和的なものであるなら、核拡散防止というのは矛盾してはいないだろうか。結局その結果もたらされたものは代理戦争という核を持たない国の背中を押して戦争を継続させる行為なのではないだろうか。このような視点に立てば核拡散防止とは代理戦争の可能性を減らさないようにしましょう、と言っているのと変わらないではないか。
私は大量破壊兵器という非人道的な兵器の保有が、そもそも国際法に反する行為だと思っている。ところが現在の国連理事国に核兵器を保有しない国はない、この状況で世界平和が議論されているという厳しい現実があるのだ。人類が真剣に平和を話し合うとすれば国際法の支配を強め、そのことによる核兵器の廃絶と一般市民への攻撃の禁止を訴えることではないだろうか。