今日は好日Vol.2
2023年 8月8日 喜びは時空を超える
マルクシャガールといえば知らない人は誰もいないほど偉大な芸術家だ、しかもパリオペラ座の天井もシャガールが飾っている。とはいえシャガールに偉大さや威厳を求める人もいないだろう、偉大ではあるが、誰にでも寄り添ってくれる親しみやすさがあるからだ。私も大好きな画家の一人だが、彼は何人なのかと聞かれればロシア人と答える人が多いだろう。というのもモスクワオリンピックの開会式では彼の絵が重要なモチーフとして登場していたからだ。では、今もでもそう表現することが出来るかと聞かれれば何かと角が立ちそうな気がする。
なぜ私が突然こんなことを言い出したかといえば、民族には時空を超えて受け継いでいる嗜好があるのではないかと思うからだ。有名な例では世界中の国歌で、物悲し気な短調を使う国は日本とイスラエルだけだそうだ。単なる偶然ともいえるが、嗜好は時空を超えるという思いを強めるからだ。その思いは今月の6日から始まったはこだて国際民族芸術祭を追いかけているうちに、いよいよ強くなってきている。というのも私はまるでここ数日間、世界一周を楽しんでいるような気持になっているのだ。
さて2日目を向かえる昨日はあいにくの天気で、写真の通りトリコロールの演奏に入ると、とうとう霧雨になってしまった。ところがこの状況に客席の反応は然程でもないようだ、それほど芸術祭の観客は幾多の困難を乗り越えてきているのだ。ところで昨日はこの巨大なステージでの演目がトリコロールと先に演奏したサバッチャーグでかぶっているような印象になってしまった。というのも使う楽器もケルト民謡とラテン音楽のインスパイアとなれば仕方がない。とはいえ後に演奏されることになるユードラステージの演奏で彼らの目指しているところの違いが際立っていた。
さて先ほどの雨ざらしのステージとはまったく違う環境で、サバッチャーグによるこの日最後の演奏が始まった。夕方の演奏と違ってこの会場では楽器はマイクを通さずほぼ自然なアコースティックでの演奏になった。この環境が二人の夢のような演奏を可能にしてくれたようだ。つまりそれは、偉大な芸術家であるガーシュウィンやバーンスタインの目指す音楽とは逸にする音楽だ。そこで、私が真っ先に頭に思い浮かべたのはマルクシャガールの描く何気ない日常風景だった。それが彼らが表現したかったであろうセファルディムの民族音楽ではないだろうかと思うのだ。その音楽は虫メガネで覗く世界のように繊細な世界だった。
その世界をジェファーソンルヴァットのマンドリンとバイオリン奏者のアリアンコーエンの掛け合いで演奏されてゆくのだが、その理想とするところがあまりにも繊細で、今回の特別なアコースティック環境でやっと成立した印象を受ける。
ところで演目の途中、彼女の歌を聞いてある楽しい懐かしさを覚えた。それが以前同じ会場でバンドゥーラを演奏していたカテリーナの演奏で、その歌声が何故かカテリーナの演奏を思い出させていたからだ。残念ながら今の私はこの繋がりを証明する術を知らない、ただ彼らの生活スタイルや嗜好する音楽は去年今年、初めて出来たわけでもないだろう、もし何らかの繋がりがあるとすれば、それは偶然というよりも過去何千年の歴史が辿った結果ではないだろうか。私は喜びというものは時空を超えるものだと信じたい。