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今日は好日Vol.2

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2023年 8月16日 世界の反応

昨日は、終戦記念日にちなんだ記事を投稿した。こんな記事は戦勝国からしたらあまり良くは思われないだろうし、もしかしたらコメントは非難の嵐かになるかと思いきや、不思議なことに非難を向けたアメリカから最も多くの好意的なコメントが寄せられた。このことはアメリカの多くの方が真剣に平和を願われていて、そのための新たな一歩を踏み出そうとされているのだ思うと平和はきっと訪れるという心強さを感じている。

またこのような反応は、戦争を見守る周辺国にも見られ、これはきっと戦争終結に向けて世界中の人々が、どんな些細な情報も見逃さない思いで向き合っている証拠だと思っている、だからこそこのブログにしては大勢の方が、昨日、このブログを訪れてくれたのだと思っている。このことに私は改めてありがとうと言いたい。

ところで、こんなシリアスな話題の後にどうかと思うが、先に行われたはこだて国際民族音楽祭では、ビールを飲みながら尻を振って音楽を楽んでいた。今年は例年より参加されるアーティストが少なく寂しさを感じていながらも、さっそく次回のこと楽しみにしている。それほどこのイベントには尽きない魅力を感じている。

さてそんな今年のイベントで特に印象深かったのは、見えないところで世界を心で繋いでいる音楽の奥深さだ。なかでも今年は可笑しいほどケルトという言葉を耳にしていた。日本のトリコロールというバンドはまさにケルト音楽をテーマにしたバンドのようだが、同じステージにその後登場したベルギーのサバッチャーグもまたケルト音楽にインスパイアされた曲を披露していた。その音楽はケルト音楽とラテン音楽を繋ぐもので、そこからスペインを経た音楽は南米の音楽と合流し日本へと繋がってくる。

ところでこのケルト、南米、日本の音楽は何故か馴染みが深い。というのもケルト文化を色濃く残すイギリス音楽は、もともと日本人とはとても相性がいい。例えば蛍の光や故郷の空などの学校唱歌ともいわれる音楽は4度、7度の音階を外すメロディーで西洋文化と初めて出会った日本が最も早く教育の場に取り入れた音楽だった。私にとって別れの曲といえば蛍の光で、卒業式以外でも函館と青森を結ぶ連絡船の出港時には必ず銅鑼の音と共にこの音楽が流された。これがどれほど切ない別れを演出してくれたか、私にとっていまだに涙なくして聞けない曲になってしまった。

ところでこのヨナ抜き音階をこよなく愛する民族が他にも地球上にいた、それが南米のフォルクローレを受け継ぐ人たちだ。とはいえこれらの地域を地球儀上で繋ぐととんでもないことになる。南米と日本は太古から船で行き来があったことは知られているが、問題は日本とケルトを航路では繋ぐことが出来ない。

このことに疑問を持ったのはTV番組で日本にある秋田の環状列石とイギリスのストーンヘンジの放送を視てからだ、番組ではほぼ同じ時代にそれらは作られたそうだが、それらの文化の繋がりは謎のまま残された。ところがその謎についに先日、私は答えを見つけることが出来た。その答えがツゥーランドVログで紹介されていたベーリング海航路だ。

なるほどそんな航海技術があれば日本とケルトは直接文化交流ができたのかもしれない、そう思って悦にひたっていた私はこれまた偶然、動画のサムネから私の愛するエンヤの音楽にも日本語で歌われた歌があることを知った。恥ずかしい話だが、私はその曲が納められたアルバムをすでに持っていてこれまで何度も聞いていたのだ。とはいえ私はその曲を美しい曲だとは思っていたが、今まで歌詞まで気に留めていなかったということだ。動画の説明では、その歌はすみれ草を歌った松尾芭蕉の俳句からから想起されたものだそうだ。

「山路来て 何やらゆかし すみれ草」

まさか、野ざらし紀行とエンヤの歌が繋がるとは、これまで想像もしていないことだった。そういえばコメント欄にこのブログの纏まりのなさを指摘するコメントがあった。今私がそのコメントに答えるとすれば、私は投稿の際に最初から纏まりも答えも考えていません、ただ目の前に起こるありのままを表現しているだけです。その答えはいずれの日にか、やってりゃ分ると思っています。