G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 10月9日 猫定

先日落語研究会の放送で人間国宝五街道雲助氏の落語が放送された。このような立派な肩書がつくとやはり周りの様子も何となく変わりだす、気のせいかこの日の放送も、いつものコメンテーター京須氏の解説にもかかわらずより丁寧な印象を受けた。

それにしても人間国宝とは恐れ多い敬称だ、正式には重要無形文化財というらしい。つまり無形の技術そのものに重要な価値があるということなのだが、この認定が始まったのは戦後の1950年でその歴史は割と新しい。そのため落語界で認定を受けたのは、柳家小さん、桂米朝、柳家小三治に次ぐ4人目となる。

ところで今回の五街道氏の認定は落語界と言わず落語愛好家にも衝撃が走ったに違いない。というのも五街道氏の場合、噺家の苗字にあたる柳家、桂などの亭号が五街道で名前が雲助なのである。因みに雲助とは何かと言えば、江戸時代の駕籠かきの中でも客を乗せて人気のないところに来ると、突然追いはぎに豹変するという困った生業の人たちを指す。以前ある判事がタクシー運転手に対する判決に際し、これを引用したために大問題となっていた。とはいえ落語には、そもそも人間の業をえぐり出すことに大きな意味がある。つまりこれほどの大看板を背負う方が、これまで改名せずに通してきたのもそんな思いがあってこそのことではないだろうか。

もし、これまでの噺家のように華々しくテレビコマーシャルに登場し、スポンサーを背負う人であれば、すでにスポンサーから何らか指摘があったのではないかと余計なことを考えてしまう。これまで噺家は亭号に象徴されるように一門としての芸の継承を背負っている。ところが、五街道雲助氏という名には継承する流派がない、つまり名前は一代限りなのである。このことは桃月庵白酒氏などの弟子たちも同様で芸名によって一門の流派を継いでいくという考えはなさそうなのだ。

さて10月7日五街道雲助氏の演目は猫定という噺で解説によると三遊亭圓生の得意とした噺だそうだ、恐ろしいことに今の時代は師匠の動画を再生して簡単に見比べることが出来る。そこから分かることは五街道氏の噺の所作がより丁寧に表現されていることだ、例えば猫に趙範博打を教え込む場面では、五街道氏はサイコロが茶碗の底にあたって転がるようすまで表現してみせる、また猫との距離感や主人公が渡世人であり、後に親分と言われる人物の器量まで声の調子や仕草でイメージさせてくれる。つまり人情噺や怪談を得意とする三遊亭圓生の世界をより緻密に描いた無形の技ではないだろうか。

番組ではとりに柳家権太楼氏が高座に上がった、お題は富久で火事場がメインになる話だが、前に視た鼠の穴も火事場がテーマで今回の噺も同様に私はその鬼気迫る表現に圧倒されてしまった。

話は変わるが、現在のテレビ番組では一人で黙々と食事をする番組が受けている。どれほど受けているのかといえば、大みそかにも拘らずこんな番組が朝から晩まで通しで放送されるほどだ。とはいえこれは実際に料理を口に運びながらの演技だ、それに引き換え高座には扇子と湯吞しか出てこない。それにも関わらず高座で噺家の飲み食いする姿は全く目の毒になる、富久という噺も酒で商売をしくじった幇間の噺だが、これを禁酒中の患者が視てしまったら気の毒なことにはならないだろうか、私も子供の頃、落語番組の時そばをみて、蕎麦がどうしても食べたくなり、家で大騒ぎをしたという恥ずかしい思い出がある。私はこれほど名もない庶民の生活に寄り添う芸能が、今でも脈々と受け継がれていることを誇らしく思っている。