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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 11月5日 正倉院の謎

今朝はすっかり寝坊してしまい、TVをつけると日曜美術館がちょうど始まるところだった。テーマは奈良国立美術館の第75回正倉院展だった。結局番組の最後まで私は目を話すことが出来なかったのだが、そうは言っても昔はさほど気に掛けなかったテーマに今は何故か惹きつけられる。というのもそこに収められているのはよくできた工芸品というよりもその時代に生活していた人が何を望んで暮らしてきたのか、学識のない私は自由な視点で楽しむことが出来るからだ。

この番組で取り上げられたのもそのような何故だった。そこで紹介されていたのは聖武天皇の袈裟であり40cmもある螺鈿の銅鏡だった。そしてリアルなすっぽんの形の薬入れ、すっぽんの背中には北斗七星が配されていて、これはすっぽんの背中を天球に見た立て居るそうだ。そしてそこに収められていたであろう薬とは、不老不死の仙薬、蓬莱にあるとされる丹ではなかっただろうか。

さらに私の目を引いたのが、ペルシャ人のお面とされる布に墨で描かれた顔の絵だ。そこには中東の人を思わせる髭と立派な鼻が描かれている。そこに目や口元に穴があけられていて、東大寺の行事があるたびに雅楽の奏者はその面をつけてペルシャ人になり切るのだそうだ。私がここで不思議に思ったのが何故東大寺のイベントにペルシャ人がこれほど関わりを持つのかだ。これまで私が正倉院について知っていることは正倉院に収められているものは、仏教やシルクロードに関わる財宝としか認識がなかったのだが、番組では当時の公文書などが数多く所蔵され、それはまるでタイムカプセルのようだと表現がされていた。

では聖武天皇が大切にされた仏教が東大寺を中心に伝えられたとして、仏教とペルシャ人は何故つながる必要があったのだろうか、当時から中東の商人が西洋文化との懸け橋になったにしても奈良の都でコスモポリタニズムを標榜する必要がそれほどあったのだろうか。これまで正倉院と中東を繋ぐ宝物といえばササーングラスの器が有名だが、このために日本の楽師がペルシャ人の格好までまねて楽器の演奏を行うというのは疑問だ、私が思うのはそこには仏教と並ぶような思想や教えがあったのではないかという思いだ。そう考えると正倉院は単なる財宝の倉庫から現代の我々に語り掛ける思想や哲学が隠されているのではないかと思うとワクワクしてくる。ところで現代に伝わる思想といえば東京の国立博物館で横尾忠則氏の寒山拾得をオマージュした寒山百得展が開かれているそうだ。私にとっての拾得といえばレレのおじさん「お出かけですかレレのレ」これがショーゲンさんのいたブンジュ村での話に繋がってくる。世の中繋がっていないものはなさそうだ。