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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 12月22日 どうした家康?

私が楽しみにしていた大河ドラマが終わった。私は勝手にこのドラマを鎌倉殿の13人に続く面白さだと思っていたが、これに対する視聴率は私の予想以上に厳しかったようだ。というのも歴代の大河ドラマの視聴率で、このドラマの視聴率は下位から2番目だった。この数字は制作に関わる人からすれば納得できるものではない。ではなぜこれほど視聴率が低迷してしまったのか私なりに感じるところがあったので以下にまとめてみたい。

とはいえそれほど厳しい結果に終わったドラマだが、私のように普通にこのドラマを楽しめた人間も多くいたはずだ。その最たるところは俳優陣の豪華さで、何れの俳優もこのドラマにおいてその存在感を充分表現していたのではないだろうか。とくに家康のイメージは松本潤氏によってイケメンの家康という新たな視点で、それまでの古だぬきなどという固定観念を大きく書き換えられたはずだ。特に同氏が演じる晩年の家康は想像できなかったほど周囲に堂々とした威厳を感じさせていた。

またこれを可能にさせたのが驚くべきメイクの技術だろう、最期を迎える時の家康の手はとてもメイクには見えなかった。

このような裏方の仕事でさらに輝いていたのは衣装のすばらしさだった、もともと豪華さを感じさせる着物の衣装だが、画面全体に表現される色彩のセンスは世界に認められたワダエミを想わせる。この演出により作品の品格や俳優の印象を決定づけることが出来る、これによりドラマに登場する今川義元、武田信玄、織田信長、お茶茶のイメージはこれからも不動の美しさを持つだろう。

さらに言えば戦国時代を描いた大河ドラマのなかでも、このドラマで描かれる場面設定は地形や戦術などの詳細な時代考証により、これまでの大河とも一線を引くかなりマニアックな試みが施されていた。これに掛けるスタッフの意気込みはいかほどかと思える。例えば一向宗の回では実際に浄土真宗の寺までスタッフが押しかけ、かなり綿密な取材があったことを偶然私は浄土真宗の講話会で知った。

そこまでスタッフ一同が情熱をかけた作品のこの淋しい結果はどのように考えたらいいのだろうか、因みにこのドラマの視聴率を眺めると平均視聴率は関東で11、2%関西で11.08%で2ケタ台を維持している、数字を見ていると数字は最後までほぼ横ばいで推移しているのだが突然落ち込む回がある。このことは歴代最低の視聴率となったいだてんの視聴率が回を追うごとに視聴率を下げていったのとは明らかな違いがある。そこで、このドラマの視聴率が急激に落ち込んだ回の放送内容を見てみると共通したある特徴が浮かび上がってくる。

その特徴とはなにかを探るため、私は視聴率の落ち込む回のネットの評価を見てみると、その評価で圧倒的に多かった言葉が史実と違うという評価だ。じつはこのような意見はこのドラマが初めてではない、以前にも、やはり同じく低視聴率に終わった平清盛の時にも頻繁に見受けられた意見がある、それはドラマによって日本国の歴史が貶められているというような意見だった。私には今回のドラマではそこまでのことは感じなかったが、何も感じなかったわけではない、以前の投稿でもふれたが今回の意欲的な脚本は、独自の新しい解釈や考察が積極的に盛り込まれている。だからこそ今回のドラマにおいて何らかの新しい歴史解釈が表現されるのではないかという期待があったからだ。残念ながらその期待は真逆の結果で描かれていた。

さらにこの史実と違うという印象を強めているのが、登場人物の心象をセリフで長々と語らせる演出だ。このような演出を見ているとテレビドラマがまるでシェークスピアの舞台を見ているような気持になる。しかも登場人物の最後を飾る決定的な場面の演出に用いられるため、歴史上人物の内面に共感するというよりは、ドラマが空想の世界であることのイメージを際立たせてしまっているのではないだろうか。これではテンポの速いカット割りに慣れたTVドラマの視聴者にとっては演出の面白さよりも、まどろっこしさの方が強かったのではないだろうか。残念ながらこの最終回に対する私の感想はもったいないの一語に尽きる。