今日は好日Vol.2
2023年 12月28日 ゴシップとスキャンダル
ともに大衆紙の重要なテーマだが意味を調べるとそこにはハッキリした違いがあった。ネット検索によるとゴシップは真偽がまだ確定していない噂話、スキャンダルは世間からは醜聞とされる話題でともに話の真偽については確定されたものではない。
ところで、近頃クリスマスイブが終わる時期になると何故か芸能人のスキャンダルが飛び出してくる。そしてこのような被害にあうのもある特別な立場にある人のようだ。残念ながら今年もM1グランプリの審査員を務める松本人志氏がそのターゲットになってしまったようだ。ここではスキャンダルの内容について話すつもりはない。私が気になるのはスキャンダルが飛び出してくる時期のことで、しかもこの事案が発生したのは今から8年前のことだという。それほど以前の事案にもかかわらず、今このタイミングでこのような事案が公表されれば、それにより必ず迷惑を被る人間が出てくる。
恐らくこのことで一番残念に思っているのが、グランプリに輝いた令和ロマンだろう、何しろ死力を尽くして勝ち取った栄冠が、こんなことにより著しく毀損されてしまったのだ。というのも以前からこの番組の影響力は大きく、この番組のグランプリや注目された芸人は、一夜にしてスターの座を得ることが出来る。そしてこのことは芸人を育ててきた芸能プロダクションにとっても然りなのだ。
確かにここまで注目度が高くなると、人によっては笑いのヒエラルキーなどと言いたくなる気持ちもわかる、つまりこの言葉には審査員らによって笑いが寡占状態になっているというような意味も感じられる。
とはいえこの番組のファンはそんな偏った見方をしていないだろうし、いわんや松本人志氏の語るお笑い哲学ともずれている。というのも彼のお笑いに対する自論「ネクラ 貧乏 女好き」という言葉を言い換えてみるとそれは、自分の世界を大切にする精神であり常にハングリー精神を忘れないことであり、さらには個人の素養と実践だということではないだろうか。このような彼のお笑い哲学は一元化したお笑いのヒエラルキーを目指すのではなく、むしろ芸人の個性を尊び実践的なお笑いを語っているように思える。
さてこのようなスキャンダルが貴重な才能の芽を簡単に摘んでしまう昨今だが、日本では昔からこのような特殊な才能を持つ人たちは、梨園や花柳界などという特別な社会で暮らす人たちだとされていた。結局人気商売の世界で暮らす人らは好むと好まざるとに関わらず一般人の生活とはかなりかけ離れた暮らしをすることになる。そんなことも昔の人は心得ていて、このような状態のことを昔から浮名を流すなどと言って、昔の人も芸能人のゴシップを楽しんできた。現代の日本と違うところは、これにより芸能人を社会から葬り去ろうなどとは考えていなかったところだ。それは、芸能人の才能を稀なものとして贔屓の対象にしていたからなのではないだろうか。
とはいえいくら芸能人であったとしても、犯罪を起こしたとなればこれは許されるものではない、それこそ然るべき法律によって厳正に裁かれるべきである。とはいえ、犯罪とは確定されていない人間に対し思い込みだけで、一斉に制裁を加えることはこれもまた犯罪に等しいことである。これではまるで、個人の思い込みだけで罪人を決定し首に縄をかけて町中引き回すようなものだ。このような行為を英語ではリンチというそうだ。