今日は好日Vol.2
2023年 大晦日 私的制裁はどこへ向かうのか
2023年もとうとう一年の締めくくり大晦日を迎えるが、いまだに世界中報復合戦の勢いは止まらない。もしこれを武力によらず解決しようとすれば法の秩序に頼らなければならない。とはいえ法の秩序とは実効性と公平性が維持されている状況のことを言うが、果たして現在の国連はこの点において機能していると言えるのだろうか、もしもこれらのことに何らかの懸念があるのであれば、これを正さない限り人類はこれまで以上に危機的な結果を受け入れなければならなくなるだろう。
とはいえ法による秩序がなぜ必要なのかといえば、もしそうでなければ武力が世界秩序を支配することになるからだ。このようなことを書けば戦力に乏しいウクライナは国際法によりますます護られなければならないと解釈される方もいるが、法の秩序で一番重要なことは何をおいてもその公平性だろう。この公平性が担保されていない限り軍事的優位にある国はその国の主権を投じてまで国際法に従うようなことはないだろう。
さて法による秩序の必要性は国同士の対立時はもとより国民同士の対立時においても同様のことがいえる。もし平和的解決を望む場合で話し合いに歩み寄りが得られなければ法的解決に委ねるのが正常な判断である。もしこの秩序が揺らいでしまうとどのようなことになるのか、要するに個人の信条が法的秩序よりも優先された場合、歴史の世界ではとんでもない悲劇が起こっている。
たとえば、法の秩序がまだ整はない頃のフランス革命政府はどのような末路を辿ったのか、あるいはロシア革命や文化大革命ではどうだったのか、結果は戦争より遥かに悲惨な大虐殺が起こっていた。では何故このような悲劇が起こっってしまったのかといえば、法の秩序よりもイデオロギーが優先されてしまった結果だったのではないだろうか。このように法の秩序を蔑ろにし、決まった価値観やイデオロギーにたよって勝手に人を裁くことは、将来どれほど悲惨な結果をもたらすことになるのか我々人類は決して忘れてはならない。
確かにこれほどTVで必殺シリーズが人気なのは巷に蔓延る闇のせいなのかもしれない、そうだとしても無秩序な私的制裁は世の中をさらに金と暴力の蔓延る疑心暗鬼の世界にしてしまうのではないだろうか。