今日は好日Vol.2
2023年 元旦 初詣
昨晩は大晦日にもかかわらず、国民として納税義務を果たすべく夜中まで納税に励んでいた。と言いたいところだが、それでは元旦から少々後ろめたい気持ちになるので、白状すると昨日はふるさと納税の最終日で、返礼品の誘惑に目がくらみ締め切り間際まで、あれこれ返礼品を探していた。 こんなことを書くと、納税の何たるかを理解してない、などとお叱りを受けそうだが、国民の意が反映された行政であれば、国民としてそれを支える義務を負うのは当然と考えるのだが、この税金はいったい誰のためになるのか、と思いながらの納税は正直気が重い。などと少々青臭いことを思いながら過ごしていたが、夕方になりいよいよ納税の期限が迫ると肉や魚介の誘惑に、私は自制心を失ってしまったのである。とはいえふるさと納税という制度にはつくづく頭が下がる思いがする。 とかく税金ほど誰からも好まれない行為を、いつの間にか納税が楽しみな行為になるようにすり替えてしまうからだ。これこそ政策の妙と言えるのではないだろうか。 話は変わるが現在の日本ではこれまでの30年間を失われた30年と言われている。いったいその原因は何なのだろうか、果たしてその責任は一体誰にあるのだろうか。振り返ればこれまでの30年企業は着実に収益を増やしてきている、それに伴い日本の税収も着実に増えてきたのである。ではこの30年で失ったものとは何かといえば、それは金利と個人の年収なのである。正しくはこれまで物価の上昇も抑えられていたために、かろうじて庶民の不満は抑えられ、家計のやりくりも安定していただけなのだ。 ところが現在エネルギーの高騰により家計のバランスは崩れようとしている。 経済のセオリーから見ると賃金の上昇により購買欲は活性化されなければならないのに、肝心の賃金上昇が、金融緩和による資金供給だけでは起こっていないのが現状である。このことから景気の停滞を日銀だけに押し付けて議論するのは、解決の糸口を探ることにはならない。 つまり、景気は資金が市場にいくらばらまかれても、それだけでは回復しないという事実を学んだはずなのだ。私はこの資金が給与に振り向けられないことの原因として消費税の導入が関わっているのではないかという思をもっている。 ではなぜ消費税が景気停滞の要因かといえば、消費税とは法人税に加えて人件費に対する徴税も行う仕組みだからだ。企業にとって節税は収益効率化の対象になる。そのために人件費にかかる消費税分もコスト削減のターゲットになるはずで、この税制を維持することは、企業にとって雇用の維持や人件費に対しネガティブな要因となってしまう。いっぽうこれまでの法人税だけであれば人件費にかかったコストは売り上げから控除できる対象であるために、節税のためには純利益から積極的に人件費控除の選択をするはずなのである。 いずれにしても現状の企業は消費税を含め利益の30%程を納税しているわけだが、このようなことを考えると消費税を廃止して、代わりに法人税の名目で納税を純利益の30%とされた方が節税に振り向けられた分は個人収入の増加につなげることが出来るわけだ。 ではなぜ、このような消費税という税制が導入されたのだろうか、その根拠として挙げられるたのが安定的な税収確保らしいのだが、結局この税制によって得られた結果は個人収入の減少による人口の減少、優秀な人材の流出、国内市場の縮小である。このような国の経済見通しで未来の安定した税制を望むということができるのだろうか。 また日銀の金融緩和が市場に行き渡らない理由として思い浮かぶのは、最近よく聞かれるようになった社内留保という言葉である。この言葉が頻繁に聞かれるようになったのはリーマンショック以降ではないだろうか。 これはリーマンショックという未曽有の経済的危機に対し、企業が自社の資金で支えなければならないという現実があった。本来は金融機関が企業に対し、このような非常時に際し確りとしたキャッシュの供給が出来ていれば、社内留保のような資金は不必要なはずなのだ。このため本来市場に出回るべきお金がいくら金融緩和を進めても企業内に滞留し、本来の目的である企業の設備投資には向けられないのである。この解消のために政治は金融機関に対し、貸し渋り、貸しはがしなどのおこらないような監視体制や法整備が必要になるはずなのだ。 このまま資金の滞留を放置しておくことは、企業による設備投資や研究開発の遅れとなり、企業としての国際競争力の低下を引き起こす。 これまでのような価格競争による経営戦略は企業にとっても国にとっても希望のもてる未来にはつながらない。豊かで希望の持てる社会を国民が実感できるためには、唯一無二の付加価値を持つ商品こそ日本に安定的な経済をもたらしてくれるのではないだろうか。 歌い初めの一句 「雪舞って 先を占う 初詣」 本年もどうぞよろしくお願いします。