今日は好日Vol.2
2023年 1月8日 トマホークと10万か所の核シェルター
これが日本と台湾の国防に対する考え方の違いである。ちなみに台湾の人口は約400万人なのだ、一体どちらの国の政府がまともに国民の安全を考えているのだろうか。 実際警報に際してのアナウンスは「安全なところに避難してください」というものだが、核弾頭であった場合の被害を考えると隠れる気力すらなくなる。 実際、日本の周りにはどれほどの核兵器があるのだろうか、おおざっぱな数だがロシア6千発、中国350発、北朝40発である。日本はこの脅威に対して旅客機並みのスピードで飛ぶトマホークを500発ほど保有しようというのである。しかもこれらの目標はトレーラーや潜水艦に乗せて常に移動させることが出来る、これを何千キロも離れた場所から打って飛び立つ前に破壊しようというのだ。このような事実を前にして防衛力整備が進んだと喜んでいいものだろうか、私には反撃能力とは、自分たちが正当な的であることを表明したようにしか映らないのだ。私はこんなことが閣議決定されたことに青ざめるばかりなのだ。 さてこれほど自立出来ない未熟な国に対して世界は、さらなる国際貢献を期待しているそうだ。では国際貢献とは具体的に何のことなのだろうか、今朝のニュースでは戦争当事国が日本への協力を要請しているらしいのだが、その件に対し現首相は態度を保留しているらしいのだが、ぜひこのまま自制心を保ってほしいものだ、そして今後のG7サミットでもこのような毅然とした態度で臨んでほしいものだと思っている。我々日本人が常に願っているのは、世界中の庶民が平和に暮らせることだ、どちらの国が正義だというものではない、武力行使の前に話し合による解決を探ってほしいと思うのだが、相手国の停戦協定まで受け入れないというのはこの機会を消滅させてしまったということだ。 このことを過去の日本に置き換えてみると、先の大戦で日本は陸軍の戦力をほとんど海外に残したまま、敗戦国の汚名を受け入れたのである。これが果たされたのが昭和天皇の英断による歴史的詔勅だ。万世の太平のために恥を忍んで、臣民は矛を収めよと宣言された。 私は外交も国防もすべてこの精神に倣うべきだと思っている。日本人は世界に貢献することを惜しむ物ではないが戦火を広げるような選択をするべきではないと思っている。それはいずれの国にも武器を持たない市民の暮らしがあるからだ。 我々日本人は相手国の攻撃に対しては毅然として武力を行使するが、その目的は日本国民の生命、財産、領土を攻撃から守るためである。このことをしっかり明文化しておくことが、本来の護憲というものではないだろうか。現在の憲法に対する扱いは憲法の死文化である。これでは憲法など無くてもよいのではないだろうか、などと思えて仕方がない。そのように思わざる得ないほど現憲法は国会においても軽んじられている。特に護憲を訴えながら信教の自由に制限を加えかねない議論をいつまでも持ちかけるのはどのような目的があるのだろうか、私には憲法の死文化を進めているのではないかと疑いさえ持ってしまうほどだ。私は現状に即した正しい憲法を持つことが、平和の維持を誓う日本国にとって必要なことだと思っている。そのことは日本人の自主的意志であり、日本国としての行動を海外に知らしめることになるのだ。現行のような憲法を勝手な解釈で死文化するやり方は、政権が変われば解釈によって、いかようにも憲法解釈を変えられるという既成事実を積み重ねているに過ぎないではないか。 ところで国際協力という言葉で浮かんでくるのが、国際連合というWW2の戦勝国によって作られた組織である。この組織は世界平和の実現が目的らしいのだが、その目的が果たされたことは極めてまれだ。なぜならこの組織を仕切る5つの常任理事国が互いに仮想敵国なのだ、これでは意見など纏まるはずがない。ところが日本はこの組織に参加するため毎年負担金を払っている、この額はそれぞれの国のGDPによって決まるらしいが、そうなると日本はこの組織の8%の負担が決待ってしまう、その額はおよそ2000億円だそうだ。結局世界第3位のGDPにあたる我が国は、この組織の3番目に多い負担金を支払っていることになる。そうであるにもかかわらず日本が、この組織で発言権を持つことはほとんどない。それどころかいまだに敗戦国の汚名を着せられたまま敵国条項という括りの扱いになっているのだ。これが、負担のわりに日本が国際連合の常任理事国になれない理由である。2005年にはさすがに日本もこれに抗議したが、文章は撤回されることなく、「そんなのはどうせ死文だ」という扱いになっているらしい。今回非常任理事国という待遇で首相はこれに参加されるようだが、是非ともこれまで通りの自制心を発揮してほしいと思っている。