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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 2月26日 本当の凄さ

函館のイメージといえば、このハリストス正教会のエキゾチックな佇まいが浮かんでくる、それは地元に暮らす私も同じだ。ところが、ここ2年ほどの間、函館を代表するこの建物は改修のため、ずっと覆いが掛けられていた。そのためしばらくの間、観光でいらした方は、さぞガッカリされていたことだろうと思っていた。 ところが、昨年はウクライナ戦争のためにこの美しい建物も、今では微妙な景観となってしまった。皮肉にも今日は改修が終わり、3年ぶりの晴れがましい姿をやっと目にすることが出来たわけだが、今の世情で観光客は、この姿を快く受け入れてくれるのか心配である。 私はこの写真を撮りながら、この建物の歴史について考えを巡らせていた。するとある疑問がわいてきた、それはこの建物はいつからこのような姿で、ここに在るのだろうということだ。そこで私は建物の横に立てかけてある、立て看板を見て驚いた、看板には1858年安政5年にこの教会は建てられたと書いてあった。つまり江戸時代の日本の開港と同時にこの教会が建てられたということだ、その時からこの教会は何度か改築はあったものの、ほぼ当時の姿のままである。 ところで、江戸時代から今日まで日本とロシアは、それほど友好的であっただろうか、というのも、日本とロシアはこれまで2度も激しい戦争を繰り返してきたのだが、その激しさは簡単にお互いの過去を拭い去ることなど考えにくいほどの激戦だったのである。あえてここで過去にさかのぼれば、1895年の日清戦争でロシアの干渉を受けた日本は、その時の恨みを臥薪嘗胆という国を挙げての合言葉に込めて日露戦争を戦った。また大東亜戦争後におけるシベリア抑留に対しても、安易に容認できるものではなかったはずだ。にも拘らずその仇ともいえるビザンチン様式のこの建物は、いかなる破壊も受けずに今日まで存在してきたのである。はたしてこれを日本人の文化に対する節操のなさと、片づけて良いのだろうか。 私はこのことを文化に対する日本人の懐の深さだと思っている。それは海外では宗教に関する敵の史跡が無傷で現存するなど稀なことだからだ。たとえ戦利品という姿で残っていたとしても、敵地に文化財として現存することは難しい。そうでなくても敵対する国の文化が歴史の荒波を乗り越えて存在することの難しさは、敵対国の音楽ですら禁止されている現状を見るにつけ、今日においても稀なことだと思われるのだ。簡単に荒波と言ってしまうが、日露戦争では9万人が亡くなり、大東亜戦争においては、70万人の将兵が武装解除された状態にもかかわらず、シベリアに抑留されていた。その抑留に至っては解放まで10年以上の時間を経ているのだが、我々日本人はそのような非道にも許しをもって未来に歩みを進めたということだ。 そのことをこのハリストス正教会が改修されて蘇ったという事実が示している。つまり日本人は文化を何よりも大切に重んじる民族だということだ。なぜかといえば、文化は人間の魂に結び付くという、潜在的な確信を日本人は持っているからだ。とはいえ継承される文化には理想ばかりが刻まれているわけではない、時には恥辱と思われる事態も刻まれているものなのだが、日本人はそのことも含めて文化を未来に繋ごうとする、つまりもののあわれを知る民族なのである。私は日本人の本当の凄さは、このように事実を認めて乗り越える力だと思っている。 最後に、散歩の帰り道、護国神社に参拝して祖先の英霊が安らかであるように、日本と世界の平和を祈らせていただいた。