今日は好日Vol.2
2023年 3月4日 平和の為の改憲?
恐らく平和運動を実践されている方にとって改憲は、相いれないものに違いない。なぜかといえば戦争行為自体を認めないのが今の憲法だからだ。これが戦後日本人の常識である、にもかかわらず、私は現憲法を改正し国防軍を明記するよう訴えている。私は世間の常識とは全く相いれないことを述べているのだ。 今ことさらこのことを訴えているのは、現在日本の平和に危機が迫っていると感じるからだ。この危機が迫っている状態というのは、ウクライナでの戦争であり、台湾有事の可能性である。だったらなおさら日本は戦争に関わるべきではないと思われるのは、誰しも思うところではあるがしかし、法的な解釈も含め現在の日本の状態は有事がおこれば、国民の意志に関わらず、日本は戦争に巻き込まれる。 巻き込まれるという表現をすると海外の人は眉を顰めるに違いないが、残念なことにこのような表現にしかならない。この流れを作っているのが、平和の象徴とされる現憲法と日米安保の組み合わせなのだ。 確かに現憲法では日本から攻撃を仕掛けることはできないが、同盟国が何らかの攻撃を受ければ、日本は自動的に反撃することを余儀なくされる。しかもその時点になると日本の自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入り戦争を遂行することになるのだ。是非この意味の危険性を理解していただきたいのだが、つまり攻撃されたのはアメリカ軍で戦争当事者は終始アメリカであれば、これを支援する立場にある日本には、相手国との休戦協定や停戦協定を申し出る権利はない。 悪くすれば、作戦命令のままに自衛隊が、世界を股にかけて作戦行動にあたることも不可能ではない。番止む負えずというのが非常時の常だからだ。このような非情な推定が可能になるのも、現実にそぐわない憲法のためだ。 私はこの様な悲劇に日本が巻き込まれないためにも、国軍の保有と安保体制の脱却が必要だと考えている。とはいえ、この意見には憲法改正推進派の方たちからも強い反対にあうに違いない。日本一国で日本を守ることなど現実的ではないと思い込んでいる人たちが多いからだ。ではこれまでの日本の歴史において、他国頼みの防衛を願っていた時代はあっただろうか。史実は例え幾万の敵に囲まれても怯むことなく対峙してきたのが、日本の歴史ではなかっただろうか、にもかかわらず「日本だけで国の防衛は危うい」などというのは腰抜けの考えである。こんなことでは、これまで日本を守ってきた祖先に対して顔向けができないというものではないだろうか。 かつて集団的自衛権を検討していた時代と現在日本の置かれている状況は変化している、以前は世の中に平和を願わない人間はいないと思っていたが、今の世界情勢を見ると世の中そう単純ではなさそうだ。世の中には平和を叫びながらもお金のために戦争を煽る人たちがいるのだ、何も知らずにその手先になる人もいれば、それを知りながらそそのかす人もいる、これが悲しい現実というものだ。これ以上アジアに戦争を持ち込ませないためにも日本は、軍事的にも自立しなければならない。