今日は好日Vol.2
2023年 3月7日 国家機密
昔から情報が兵器に勝る影響があることは有史以来の常識である。近頃ではその重要性がますます高まってきているように感じていたが、日本国の中枢ははたしてことの重要性についてどれほどの認識があるのか心配になってくる。 というのも今国会で騒がれていることは、総務省の機密文書が外に漏れたことが問題になるべきところだと思っていたが、争点は文書は本物かどうかということらしい。本当の文章かどうかは文書番号や流された経路によって、簡単に後を辿ることが出来るはずだ。 大臣が疑義を持たれているのであれば政府は、このことの調査を政府は全力で進める必要がある、そうでなければ、この先も政府の信頼は常に脅かされることになる。しかしながら機密文書が公に晒されたということは、機密漏洩が発生したということだ。総務省はこの事実をうやむやにして責任を免れられるものではない。政府はこの経路をはっきりさせることが出来なければ、サイバークリアランスの推進など覚束ないだろう。 今回の問題は国の機密保持に重大な欠陥があることを露呈させた。このことを政府は重く受け止め対応策を講じることが国としての最優先課題である。この問題への対応としてまずは、各省庁の職務規律、特に文書管理についての検証を急ぐべきだろう、さらにこの件については公務員としての守秘義務は保持されていたかどうかの検証が必要である。 もし省庁でこのような機密漏洩が常態化しているのであれば、どれほどの国益を失うことになるのか真っ先に考えなければならない。もしこれが外交に関する機密であった場合、まかり間違えれば戦争を誘発してしまうことも十分考えられるのだ。 因みに今日は、元自衛隊一佐による特定機密漏洩について検察は起訴を見送ったという報道があった。すでに自衛隊での処分は終わったそうだが、軍事の機密は刑事や民事で裁ける許容度を超えているからだ、しかもそれが左官クラスの知り得る情報ともなれば、それによる被害は一般人の想像を超えてしまう、その影響は戦争の行方を左右する可能性もあるからだ。結局このことも自衛隊を軍という定義で捉えることが出来ないことの弊害なのだ。 いずれにしても、国会で審議されることの論点は国益についての審議というよりは、言葉の揚げ足取りで終わっていないだろうか。大臣の去就よりも、この国の安全を真剣に考えてほしいと願うからだ。