G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年

3月13日 街の盛衰

昨日は、函館近代美術館で開催されている、はこだてトリエンナーレを鑑賞させてもらった、会場はアーティストの熱気であふれ、まるで美術のお祭りのようだった。このトリエンナーレは旅する芸術実行委員会が主催している市民の活動だ。しかも、この活動は2009年から始まり、今回で14年間の歴史が刻まれたことになる。

因みにこのような市民が創り上げたお祭りに、はこだて国際民族芸術祭がある。私が1年のうち最も楽しみにしているお祭りだが、そこに参加されている手回しオルガンのキノさんが、この会場では平面作家として参加されていた。遅まきながら先ほど、彼女のプロフィールを見て驚いたが、彼女は写真作家でもあったらしい、ところで美術館に展示されている作品は写真という枠に収まらない作品になっている。

恐らく実物からでないと、あのスポットライトで浮き立つような繊細なニュアンスは伝わらないかもしれない、また作家のささきようすけ氏も、昨年の芸術祭でライブパフォーマンスをされていた方だが、展示されていた作品は同じ作家の作品とは思えないほど繊細な作品だった。

ところでこの展示における作品のクオリティーの高さでは日展作家の上野逸美氏の作品も見事だった、陶芸といえば、とかく偶然が支配する表現で、ある意味とても不自由な表現なのである。そんな気難しい世界でフォルムや釉薬による表現をコントロールし斬新な表現を追求されていた。

 

さて、はこだての歴史といえば、ことし99回展を迎える赤光社美術公募展の安田裕子氏が出品されていた。その作品は空や水辺を思わせる繊細で儚い輝きを平面あるいは立体で表現をされていた。ちなみに作家にモチーフは実際に取材されたものか尋ねてみたところ、彼女の答えは特定できない記憶と現実の融合だそうだ。確かホキ美術館を設立した保木将夫氏も美術館から眺める風景と太古の風景との繋がりをそのような表現で仰っていたような記憶がある。

 

ところで、これほどエネルギッシュな作家の作品からさわやかなエネルギーを受け取っての帰り道、駅前通りに差し掛かると、哀れなほどの寂れ具合に愕然としてしまった。かつては函館駅に向かって、あれほどぎっしり商店が軒を連ねていた街並みが、スチールパイプに囲まれた殺風景な駐車場に代わっていた。こんなことを書くと、さっそく外国資本に買いたたかれそうで、心配になってくる。

そもそも道南の地は縄文時代の遺跡も数多く、国宝の中空土偶を有する、有史以前からの歴史の街なのだ、つまり、もともとどれほど恵まれた土地であったのかということだ。ところが、それほどの文化遺産を抱えながらも、近年急激に、この街は一方的に衰退の道をたどっている。

ちなみに縄文時代といえば、一般的に定住しない狩猟民のイメージが強い。ところが、史跡から分かることは、縄文人は一定の場所に何千年もの間、定住していたということだ。つまり同じ生活インフラを継承しながら、先祖代々函館の地で平和に暮らしていたということだ。

ところが現代の函館は戦後の僅かな間に、土地は不動産と呼ばれ、大地の恵みを受ける尊崇の対象から、お金を表現するための単なる道具に成り下がってしまった。そのため土地は投機の対象にされ、その挙句使い捨てにされてしまった。私はこれが街並みを荒廃させたおもな理由だと思っている。

人の営みを文化と捉えるなら、その集積である街は文化の集積でもある。それが街の歴史というものではないだろうか。我々の個性は日々新たな歴史を刻んでいくが、その暮らしが幸せなものでなければ、歴史を積み重ねることに何の意味があるだろう。作家は日々の幸せを表現するために日々研鑽を積んでいる。

つまり町の在り様に目を向けることは、自分の個性の重要性に目を向けることに繋がる。言い換えれば、街を使い捨てにすることは、個性を使い捨てにすることに他ならない。

未来の個性が、生きるための希望を失わないように、現在の我々は、未来の世代の幸せを願い街の在り様を設計していかなければならない。