今日は好日Vol.2
2023年 3月21日 国会とは何だろう?
特に日本の国会中継を視ると不思議な気持ちになる。なぜかといえば今の世界情勢は私がこれまで体験したことがないほど緊迫していると思えるにもかかわらず、国会中継でスポットを浴びているのは、昔々の外には漏れるはずのない文書のために、国会の貴重な時間が消えている。
しかも、それが今の日本にとって、差し迫って著しい損害を与える内容というのならまだしも、報道に偏りがあるという内容の発言があったかどうかなど、どれほどの国益を損なう問題になるのだろうか。私もかねてよりマスコミの報道には著しく偏向があると感じていたので、逆にそう感じていないことの違和感を質問者に感じるくらいだ。それはともかく議論の中身についても日本国民が今直面している問題と比べれば、呆れるほどどうでも良いことのように感じる。
そしてマスコミもこのようなことについて、何故か熱心に報道されているがこの議論の行き着く先は、どう考えても国民にとっての安全な暮らしや、未来の希望とはまったく無縁の世界に感じる。こんなことのために1日あたり3億円ほどの国会運営にかかる経費が消えている。
このために我々国民の生活を左右することになる政府の政策方針も何ら議論されることなく、国会の限られた時間が消えてゆくのだ。本来国会は国民にとって政府の方針が、国民の現状に鑑み受けい入れられるかどうかを、地方の情勢や様々な見地から審議するための場のはずである。そのため野党の議員に期待されるところは政府の打ち出す政策への問題提起や新たな提案をしていくことではないだろうか、ところが今の国会では問題提起どころか政策についてはそっちのけで、個人攻撃の為なら国益などどうでもよいのかとさえ思えてくるのだ。
今我々国民が、国会で審議してほしいのは、防衛問題や税制、経済政策の取り組みや少子化対策などに合わせ、さらに心配なのは、一部の地方では日本の国土がどんどん外国に買われているような状況で、その結果、ほとんど日本語が通じない地域が発生していることなどだ。国益とは日本人が誇りをもって平和に暮らせることの最大公約数ではないだろうか、そのためには一部の信条には制限がかかるかもしれないが、とはいえそれが、民主主義の大原則多数決というものではないだろうか。
このことからも、果たして我々日本国民は国民主権の重さを理解していると言えるのだろうか、分かっているというのであれば、なぜこれほど国民の利益を考えない国会議員が国会で大声を出しているのだろうか。