G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 4月30日 武力衝突

戦争という言葉にはいろんな意味が含まれる、目的から言えば国家間の紛争解決になるだろう。がしかし、この解決には必ず人命が犠牲になる。そのことで戦争は人殺しだということも完全に否定はできないが、その目的は全く異っているということだ。つまり戦争は私情を超えた国家間の紛争で、そこへ身を投じるということは、個人が国家というものをどうとらえるかによる。簡単に言えば国家は個人の命を超えたものと認識するか、個人あっての国家だととらえるかの違いになる。極論すれば地球は個人の命より重いのか軽いのかという考え方の違いになるのではないだろうか。私などは単純に地球が重いに決まっていると考えるが、そうではない、人類は地球を飛び出しても生存できるはずだという考え方もある。

いずれにしても私は現時点で日本国民として生まれ、ここに暮らしている。そして日本の歴史に対しても知れば知るほどその叡智に感嘆するばかりなのだ、それは祖先が未来の我々のために必死の思いで繋いだ日本人としてのプライドではないだろうか。そのようなプライドはおろそかにしてはいけないと思うのが私の考えだ。

ところでこのような思いは、ほとんどの人類が共有している思いだと思っている。というのも古来から世界中で私心を捨て戦場に身を投じたものに対し国家はあらゆる機会を通じて敬意を表してきたからだ。例えば要人が他国を訪れた際に、相手国の戦没者に対し慰霊を行うのは、相手国へ敬意を示す常識的な儀礼といえる。

さらに戦争といえば国際法により様々なルールが設けられている、例えば戦争行為は武力同士の戦いであることが決められている。つまり武器を持たない人間に対する攻撃は戦争とは言わず虐殺に他ならない。こうなると武力を持たない自衛隊はどんな立場になるのか私には想像がつかない。

このようなあいまいな状態を放置したままにすることは、殺人やテロと軍事行為の差を曖昧にし国民のモラルを誤った認識のまま放置することになるのではないだろうか。このことは個人の認識というよりも国際法律順守の問題であり、この基準を理解しない教育者が教育に携わることや、国会議員が国政に関わることは日本の国際的立場を危うくしかねないことになる。