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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 5月3日 憲法記念日

これまでの私にとって憲法記念日は、大型連休を構成する休日の1つでしかなかった。私の思いは戦争などというものはこちらが仕掛けていかない限りわざわざ海を越えてやってくるとは想像もできないことだった。むしろ戦争は遠い過去のもので、改憲だなんだと騒ぐ人たちは猜疑心に凝り固まった特殊な軍国主義者のように思っていた。

ところが最近は訓練などではない実際の空襲警報を耳にするようになると、このような暴挙に対し、国民はなすすべもないことに愕然としている。いったい日本がどのようなことをしたために、国民はこれほどの恐怖を味わはなければならないのだろうか。

このような状況に対して自民党の副総裁は戦える自衛隊という発言をしたところ、「戦場に行かないものが何を言うのか」という芸能人のコメントがあったそうだ。なるほどとも思えるが、私はこの芸能人に一体この問題に対してどのように考えているのか聞いてみたいと思っている。私がこの発言に不安を感じるのは、この問題に対する芸能人の当事者意識の低さと、想像力の欠如にある。この人は自分や家族、友人にまでミサイルの標的にされていることに思いが及でいないようだ。とはいえこれはこの人だけの問題ではなく、日本全体が抱える問題と捉えるほうが正しいだろう。

つまり現在の民意とはこの状態を基準に考えなければならないのではないだろうか。結局このようなたわいもない民意が現在の国会に反映されてしまうことで、重要な案件がまともな審議も受けずに、どんな法案も簡単に国会で承認されてしまっている。ようするにこのことは国民の命より言葉の正否や差別発言が重要視されるという今の、こまった国会そのもののように感じる。こんなものがメディアですぐに取り上げられて、国民にとって重要で危険な情報が知る人ぞ知るの状態になっているという、あきれた状態なのだ。

 

ではなぜこのような副総裁の発言になったかといえば、憲法9条にある戦争の放棄という条文が関係しているのではないだろうか。これは世界第6位の軍事力を保有しているといわれる自衛隊がこの条文によって、自衛隊は憲法によって交戦権が認められないという矛盾について言及したものではないだろうか。

そもそもこの問題が解決されないのは、自衛隊の身分を軍隊と認めないことから始まっている。つまり世界的に主権国家が主権を守るための軍隊を保有できないということは、その国の主権は何によって守られるのかということになり、その軍事力を他国に依存するなどというのは、さらに論外なのである。このことにより日本は自国の軍隊もコントロールできない国なのだということを世界に向かって公言しているのと同じで、これは民法が禁治産者に財産の管理を認めないことと似ている。ようするに世界的に見れば軍隊の保有を認められないというのはこれほど侮辱的な状態なのである。

つまりここを乗り越えずに日本人の誇りを子供たちに教育しようとしても不可能なことのように思える、なぜなら日本国の国柄を示す憲法にそのように確り書いてあるからだ。

とはいえこの9条についての問題はこればかりですまない、軍事力というのは結局、最後は国民の命を懸けたやり取りになる。自衛隊員とはその覚悟をもって任務に当たれる人たちだ。つまりいくら給料が支払われていたとしても、その代償が命だとなれば、よほどの志と覚悟がなければ自衛隊は務まらないのである。そのため軍人は時代を超え、国を超えて尊敬の対象とされてきた。ところが現憲法下での自衛隊員にはそのような扱いはされてきただろうか、私の記憶においてはそのようなことは1度もなかった、むしろ教育者が率先して自衛隊に対し暴言を吐いていたことはなかっただろうか。このような非道な状態に目を背け、テロ行為を称賛しながら平和を叫んでいるのが護憲派と言われる方々のように私の目には映っている。

 

これらの理由から現憲法は、速やかに次の2点を改正するべきである、1点目は国軍保有の明記で日本国は国防軍によって国民の生命財産尊厳を護る、ただし他国の脅威となる軍事侵攻、軍事同盟の締結はしない、また海上輸送の安全を図るため、海上輸送路に掛かる関係国とは、海上での軍事的協力関係を結ぶことが出来る。

さらに現憲法の受け入れがたいところは天皇、皇族に対する記述である。このままでは先に述べたような未熟な民意によって皇統の存在を危うくしてしまう可能性がある。そのため憲法1条の条文から問題点の改正をする必要がある。天皇の存在は国民の主権とは別のものであるし、国民の象徴という文章もまた具体性にかけている、そこで条文は天皇は日本国の歴史そのものであり、日本人の希望する高徳象徴である。さらに言えば民意や総意などという曖昧で捉えどころのない表現は避けるべきで、むしろ日本人として敬意をもって普遍的に守らなければならない存在であると考えている。そのため皇室典範は民意とは切り離し予算の審議についてのみ国会、あるいは政府が携わるのが良いのではないだろうか。