今日は好日Vol.2
2023年 5月4日 なぜ議論は進まないのか
巷では左翼的考えの人が右翼的考えに傾倒することをウォーカーというそうだ。英語表現なので世界的にそのようなことが起こっているらしい。というのも世界的にそのような風潮を後押しするような事件が起きているということだ。
これまでの私は学校教育が間違っているなどと考えたこともないかったし、だからと言って不都合を感じたこともなかった。むしろ考えることで世の中の歪が、ますます目に付くようになってきたというほうが正しい。それにしてもだまって目を閉じていれば物事は過ぎ去っていくものだと思っていたが、過ぎ去る先が世界の地獄にしか思えなければ黙っていてることの呵責に、私は耐えきれないのだ。
だから、せめてもの思いからこのようなブログを書いている。さて私はこのような思いで憲法記念日の昨日は日本国憲法への思いとして国軍の保有と皇統への思いを述べた。いずれも日本国の存亡がかかる案件でいつまでも正解を模索している時間はないと考えている。
特に国防に対しては国際法に批准した組織にするべきで、軍隊についてあれこれ考える必要はないと思える。むしろ世界的に例のない自衛隊のまま国際法との整合性を図ることはそもそも無理があるという意見だ。とはいえ今日このような記事を書いているのは、この件について議論を深めることによって解決やコンセンサスを得ることが可能かどうかという問題である。そこで、今日は護憲派の方の意見も参考にしようと思い記事を読みながら気づいたことがあった。
それは、憲法改正が必要だとする意見に対しての理解が全くないということだ。例えば沖縄県の自衛隊基地に対する情報は驚くほど詳細なデータを持たれているにもかかわらず、他国の軍事力に対しての情報といえば全く伏せられている。あれほど自衛隊の情報に対して詳細な情報収集をしているにもかかわらず、周辺国の軍事力や威嚇行動に対する情報はまるで記述されていないのだ。このような偏った活動で反対運動が組織されるのであれば、議論の可能性すら望めないのではないだろうか。当然彼らは参政権を持ち国政にも参加しているとすれば、お互い意見を交わしより効果的な国の安全を探るということは望めないのである。彼らの記事を読むと同贔屓目に読んでも愛国者は敵だと言っているように取れる。
とはいえ私もやみくもに軍事的圧力でことを治めよなどと言っているつもりはない。基本的に軍事的バランスを取りながら外交によって平和を維持するという考えを持っているつもりだが、だからと言って無条件に国益を考ず、相手のなすがままでは人間の家畜化に過ぎないと思っている。少なくとも将来を担う子供たちの言論や行動が規制され、利益だけ搾取されるような世界は望まないのだ。私はこれが国民のコンセンサスだと思っているのだが、そうであるなら何故彼らは目の前に起こる他国の脅威には無口で自分の子孫の安全や繁栄のために身を挺して守ろうという考えには賛同できないのだろうか。
沖縄の事情としてよく例に挙げられることは、沖縄の戦闘で民間人が多数犠牲になってしまったことだ。このことについて私も慙愧に耐えない思はあるが、当時の状態では対馬丸にも見られるように、赤十字や子供の姿が認識されても攻撃はやまず結果、島民は脱出を諦め残された多数の島民が犠牲になったとも聞いている、さらには国軍と協力して島を守ろうとした有志がおられたことも語られている。有名な「ひめゆりの塔」に描かれているように彼女らは愛国心から決死の覚悟で任務にあたっていた。あれほど悲惨を味わいながらも彼女たちは最後まで決して愛国心を捨てることはなかった。私は愛国心を捨て国益を顧みないことは、彼女たちの思いをないものにする行為のように思えてならない。