今日は好日Vol.2
2023年 5月7日 カッコよさ
姿かたちの好みならまだ許されるが、私の結婚適齢期と言われた時代の男性に突き付けられた結婚条件は3Kという過酷なものだった。
3Kとは高身長、高学歴、高収入だ、ちなみにその時の収入の基準が、1000万円と言われていた。いまでは誰もがあり得ない話と思われるかもしれないが、こんな言葉がメディアを賑わせていたのだから、当時はこれが無謀な条件とは思われていなかったのだと思う。
とはいえこんな基準は、早々高収入のところから崩れだした。今のところ、そのような基準は多様化し静かにネットをさまよっているのではないだろうか。
では過去の日本はどうだったのかといえば、私情よりは家の都合で決められてきたのではないだろうか、感情を持つ人間が自分の都合より家や社会の都合で配偶者を勝手に決められてしまうとは、現代のリベラルな観点からは想像もつかない世界だ。しかしながら、このような結婚感が現在に至る人類の繁栄と社会秩序を維持してきたことを否定することはできない。
とはいえ昔から人類は、このような不条理を無抵抗に受け入れてきたのかといえばそうではない。このことを現代の我々にまざまざと伝えているのが文学ではないだろうか、つまり文学に渦巻く情念の世界とは、結婚という因習に対してのカタルシスではないだろうか。
さて、このような個人的感情が積極的にスポットをあてられるようになったのも、明治以降頻繁に西洋文化と交流を持つようになってからで、このような気風を庶民にまで浸透させてきたのが出版や芸能の世界ではなかっただろうか、このような思いを戦前の詩人で、六甲おろしの作詞をした佐藤惣之助は、男の純情という歌謡曲に「金もいらなきゃ名もいらぬ愛の古巣へ帰ろうよ」とうたっている。
これが歌われていたのは1936年太平洋戦争以前のことである、このことで戦前の人間がなにを心の支えに暮らしていたのかよくわかる。さてこのような思いは戦後少し変化してくる。戦後のテレビ番組を賑わせていた玉川カルテットが流行らせたギャグは「金もいらなきゃ女もいらぬあたしゃも少し背が欲しい」というきわめて差別的な言葉だった、現在の日本でこのような差別的なギャグが出てくることはないと思う。
ところで昨日函館駅に隣接する「ハコビバ」というショッピング街をうろついた。中には昭和の飲み屋街を再現してあった。軒の低い入り口に錆びた看板、とても健康的で快活な景色とはいえないが昭和生まれの私にとってこの景色はなじみがいい。笑い声や怒鳴り声が聞こえてきそうで、なにより人の温もりを感じるのだ。